はたご#01
全ての個性が報われる世の中をつくりたい。株式会社はたごが福祉事業の注力に至るまで
IDEA
2022.03.26
近鉄生駒駅から3分ほど歩いたビルの一室にある、学習に特化した放課後等デイサービスの施設「COACH」。毎日、学校が終わって少し経つと、小学生から高校生まで10名ほどの生徒たちがぽつぽつとやって来ては、教科書を開いたりおやつを食べたりしてそれぞれの時間を過ごしています。
放課後等デイサービスとは、発達障害を持つ子どもを対象とした通所支援施設のこと。そこでは通う生徒の個性に合わせ、個別のサポートプログラムが組まれています。
奈良県内で学習特化型の「COACH」の他、運動特化型の「kaika」など複数の福祉施設を展開している「はたごグループ」を経営するのは、中岡崇さん。奈良県出身で大学卒業後は経営コンサルティング会社やベンチャーキャピタルに勤め、2020年に株式会社はたごを設立されました。
実は中岡さん、中川政七商店が運営するコワーキングスペース「JIRIN」の会員でもあり、2021年10月にN.PARK PROJECTが開催したビジネスピッチでは、シェア農園と福祉を掛け合わせた新事業のアイデアで賞を受賞するなど、私達とも縁の深い事業者さんの一人です。
「今後は福祉事業に注力していきたい」と話す中岡さんですが、2020年の株式会社はたご設立当初にオープンしたのは焼肉店。その後も送迎事業や美容事業など、福祉以外の領域にも、多岐にわたって事業を展開してきました。
そんな中岡さんがなぜ、今後福祉に注力することになったのでしょうか。その意志決定には、N.PARK PROJECTと関わる中での気づきも大きかったといいます。
起業前からの、想いの変化についてお話を伺ってきました。
放課後等デイサービスとは、発達障害を持つ子どもを対象とした通所支援施設のこと。そこでは通う生徒の個性に合わせ、個別のサポートプログラムが組まれています。
奈良県内で学習特化型の「COACH」の他、運動特化型の「kaika」など複数の福祉施設を展開している「はたごグループ」を経営するのは、中岡崇さん。奈良県出身で大学卒業後は経営コンサルティング会社やベンチャーキャピタルに勤め、2020年に株式会社はたごを設立されました。
実は中岡さん、中川政七商店が運営するコワーキングスペース「JIRIN」の会員でもあり、2021年10月にN.PARK PROJECTが開催したビジネスピッチでは、シェア農園と福祉を掛け合わせた新事業のアイデアで賞を受賞するなど、私達とも縁の深い事業者さんの一人です。
「今後は福祉事業に注力していきたい」と話す中岡さんですが、2020年の株式会社はたご設立当初にオープンしたのは焼肉店。その後も送迎事業や美容事業など、福祉以外の領域にも、多岐にわたって事業を展開してきました。
そんな中岡さんがなぜ、今後福祉に注力することになったのでしょうか。その意志決定には、N.PARK PROJECTと関わる中での気づきも大きかったといいます。
起業前からの、想いの変化についてお話を伺ってきました。
株式会社はたご
2020年に設立。飲食事業の「大和焼肉ホルモンすだく」からスタートし、その後、送迎事業や福祉事業など多岐にわたって事業を展開。2022年夏にはシェア型農園と福祉のアイデアを融合させたサービス「わたし農園」を開始予定。
政治家を目指した学生時代から一転、ビジネスの世界へ
「自分自身もADHDを抱えてきた。でも今、楽しく仕事をして暮らしている。障害は個性の一つ。その個性が活かせる場所を提供する支援がしたい」。
2021年10月にN.PARK PROJECTが開催したビジネスピッチで、この想いとともに事業のアイデアを発表をしてくれた中岡崇さん。奈良県内で焼肉店や送迎サービス、放課後等デイサービス他を展開する「はたごグループ」の経営者です。
中川政七商店が運営するコワーキングスペース「JIRIN」の会員でもある中岡さんは、2020年に株式会社はたごを設立して以来、業種を絞らず事業を拡大。2022年の夏には同ピッチで発表した、福祉の視点とシェア農園をかけあわせ、障害を持つ方々をメインのスタッフとして農園を運営する「わたし農園」をはじめる予定をされています。
現在は生駒市で学習特化型と運動特化型の放課後等デイサービスも運営、今後はさらに奈良県内で福祉事業の強化を目指される中岡さんですが、意外にもビジネスピッチに登壇するまでは福祉に最注力することは考えていなかったそう。この登壇を機に、中岡さんの目指す未来は大きく変化をしていくこととなりました。
2021年10月にN.PARK PROJECTが開催したビジネスピッチで、この想いとともに事業のアイデアを発表をしてくれた中岡崇さん。奈良県内で焼肉店や送迎サービス、放課後等デイサービス他を展開する「はたごグループ」の経営者です。
中川政七商店が運営するコワーキングスペース「JIRIN」の会員でもある中岡さんは、2020年に株式会社はたごを設立して以来、業種を絞らず事業を拡大。2022年の夏には同ピッチで発表した、福祉の視点とシェア農園をかけあわせ、障害を持つ方々をメインのスタッフとして農園を運営する「わたし農園」をはじめる予定をされています。
現在は生駒市で学習特化型と運動特化型の放課後等デイサービスも運営、今後はさらに奈良県内で福祉事業の強化を目指される中岡さんですが、意外にもビジネスピッチに登壇するまでは福祉に最注力することは考えていなかったそう。この登壇を機に、中岡さんの目指す未来は大きく変化をしていくこととなりました。
「そもそも、20代前半までは起業をしようとは全く思ってなくて。リスク取るのは本当、怖いなと思ってたんで。もともと大学生までは政治家になりたいと思ってました」。
奈良県で生まれ育った中岡さん。ご両親の希望もあり、京都大学への入学者を多く輩出している名門中学へ入学した後は、中高エスカレーターで「何の疑いもなく」京都大学を目指す日々だったと振り返ります。「初めの頃、勉強はあんまり好きじゃなかった」と話す中岡さんですが、高校で成績優秀者に選抜され達成感を覚えたことを機に、2年生の後期からは一日10時間以上勉強をする毎日をおくったそう。当時、政治に関心が強かったお祖母さまの影響を受けて将来は政治家になろうと考えていたことから、法学部を目指しました。
「京大以外の選択肢はなかった?」と問うと、「なかったですね。僕、京大とあと一つ、全然違う種類の大学しか受けてないんですよ。意地みたいなもんでした。背水の陣にしたかったのかもしれないですね。当時こじらせてたんで」と笑う中岡さん。こだわりを持ちすぎず気楽に構えているように見えて、目の前の課題解決には常に全力投球する。歩んできた道のりからは、そんな中岡さんの人柄が感じられます。
努力して見事入学した大学では弓道にハマり、主将として全国出場も牽引。もともと大学卒業後は政治家へのステップとして省庁への入庁を考えていたものの、尊敬する先輩のある言葉をきっかけに、一般企業へキャリアを進めました。
「『これからは政治家が政治を動かすんじゃなくて、ビジネスが政治を動かすんだ』って先輩が言ってて、かっこいいなって思ったんですよ。それで、その先輩が就職したコンサル業界を受けて、一番早く内定が出た会社に決めました。就活を早く終わらせて部活の試合に出たかったので。あとその会社は中小企業がお客様先で自分の肌にあっている感じがしたのと、自分の人となりを見てくれる面接をしていたのも大きいですね」
入社後、史上最年少の若さで課長に昇進するなど活躍した中岡さんですが、次第にコンサルティングだけではなく、リスクをとって企業を支援するスタートアップ投資に興味が湧き、5年目でベンチャーキャピタルへ転職。ただし、この頃はまだ、起業する気持ちなど毛頭ありませんでした。
その後2社目でも結果を出し続け、2年経つ頃には業界のカリスマと言われていた社長から「会社の全面的な支援の下、社内で自由に事業を立ち上げてみて」と言われるほどに。ともすれば会社員としてこれ以上ない嬉しい言葉ですが、この出来事をきっかけに起業を決意したと中岡さんは話します。
「社長としてはそんなつもりなかったと思うんですけど、僕としては、それが完全に後押しになって。こんなすごい人がテーマを絞らずに社内起業していいよって言うんだったら、独立してもある程度はやっていけるのかなって思いました。2社目に不満は全然なかったんですけど、起業してみようかなって思えたのはこれがきっかけです」
奈良県で生まれ育った中岡さん。ご両親の希望もあり、京都大学への入学者を多く輩出している名門中学へ入学した後は、中高エスカレーターで「何の疑いもなく」京都大学を目指す日々だったと振り返ります。「初めの頃、勉強はあんまり好きじゃなかった」と話す中岡さんですが、高校で成績優秀者に選抜され達成感を覚えたことを機に、2年生の後期からは一日10時間以上勉強をする毎日をおくったそう。当時、政治に関心が強かったお祖母さまの影響を受けて将来は政治家になろうと考えていたことから、法学部を目指しました。
「京大以外の選択肢はなかった?」と問うと、「なかったですね。僕、京大とあと一つ、全然違う種類の大学しか受けてないんですよ。意地みたいなもんでした。背水の陣にしたかったのかもしれないですね。当時こじらせてたんで」と笑う中岡さん。こだわりを持ちすぎず気楽に構えているように見えて、目の前の課題解決には常に全力投球する。歩んできた道のりからは、そんな中岡さんの人柄が感じられます。
努力して見事入学した大学では弓道にハマり、主将として全国出場も牽引。もともと大学卒業後は政治家へのステップとして省庁への入庁を考えていたものの、尊敬する先輩のある言葉をきっかけに、一般企業へキャリアを進めました。
「『これからは政治家が政治を動かすんじゃなくて、ビジネスが政治を動かすんだ』って先輩が言ってて、かっこいいなって思ったんですよ。それで、その先輩が就職したコンサル業界を受けて、一番早く内定が出た会社に決めました。就活を早く終わらせて部活の試合に出たかったので。あとその会社は中小企業がお客様先で自分の肌にあっている感じがしたのと、自分の人となりを見てくれる面接をしていたのも大きいですね」
入社後、史上最年少の若さで課長に昇進するなど活躍した中岡さんですが、次第にコンサルティングだけではなく、リスクをとって企業を支援するスタートアップ投資に興味が湧き、5年目でベンチャーキャピタルへ転職。ただし、この頃はまだ、起業する気持ちなど毛頭ありませんでした。
その後2社目でも結果を出し続け、2年経つ頃には業界のカリスマと言われていた社長から「会社の全面的な支援の下、社内で自由に事業を立ち上げてみて」と言われるほどに。ともすれば会社員としてこれ以上ない嬉しい言葉ですが、この出来事をきっかけに起業を決意したと中岡さんは話します。
「社長としてはそんなつもりなかったと思うんですけど、僕としては、それが完全に後押しになって。こんなすごい人がテーマを絞らずに社内起業していいよって言うんだったら、独立してもある程度はやっていけるのかなって思いました。2社目に不満は全然なかったんですけど、起業してみようかなって思えたのはこれがきっかけです」
とりあえずのビジョンを置くも、機能しなかった2年間
こうして起業に至った中岡さんですが、2年ほどは一貫した想いがないなかで事業を展開していたと振り返ります。飲食事業に始まり、送迎事業、福祉事業、美容事業……。いずれの事業もソーシャルグッドであることは大事にしていたものの、目指す方向はバラバラで「正直、収益をつくるためにいろいろ手を出して事業をしていた」のだそう。そもそも一つ目の事業である焼肉店に至ったのも、飲食にこだわりがあったわけではなく、先に焼肉店を起業していたご友人との縁が大きな理由でした。
「起業当初、特にテーマへのこだわりはありませんでしたね。焼肉店を開業したのは、大学で研究していた地域活性と、友人が関わっていた地元の食材を使う焼肉事業のかけあわせで、『奈良にうまいものなし』と言われる状況を変えたいなと思ったから。自分がアイデアを持っているわけじゃなかったんで、何かに乗らないと出来ないなと」
ところがオープンのタイミングに新型コロナウイルスの感染拡大が重なってしまったことから経営に苦戦。収益を補填することを狙って、福祉施設や塾などを取引先とした送迎サービスを2つ目の事業として開始します。
そしてその後、送迎サービスのお客さんだった放課後等デイサービス事業者の経営相談にのるうちに「会社を譲りたい」と相談を受け、いまの「COACH」や「「kaika」へと至りました。
「事業に一貫性がないですよね。ここまで手を広げてきたのは、ビジョンが特になかったからだと思います。一応『奈良県をなんちゃら』とかそれらしいものは置いていたんですけど、目指すものがふわっとしてて、収益性メインで考えてたんです。だからいろいろな業種に手を出しちゃった」
これらのお話からも分かる通り、実は中岡さんが「福祉」というテーマと出会ったのは半ば偶然。しかしこれが、ゆくゆく運命の出会いとなっていくのです。
「起業当初、特にテーマへのこだわりはありませんでしたね。焼肉店を開業したのは、大学で研究していた地域活性と、友人が関わっていた地元の食材を使う焼肉事業のかけあわせで、『奈良にうまいものなし』と言われる状況を変えたいなと思ったから。自分がアイデアを持っているわけじゃなかったんで、何かに乗らないと出来ないなと」
ところがオープンのタイミングに新型コロナウイルスの感染拡大が重なってしまったことから経営に苦戦。収益を補填することを狙って、福祉施設や塾などを取引先とした送迎サービスを2つ目の事業として開始します。
そしてその後、送迎サービスのお客さんだった放課後等デイサービス事業者の経営相談にのるうちに「会社を譲りたい」と相談を受け、いまの「COACH」や「「kaika」へと至りました。
「事業に一貫性がないですよね。ここまで手を広げてきたのは、ビジョンが特になかったからだと思います。一応『奈良県をなんちゃら』とかそれらしいものは置いていたんですけど、目指すものがふわっとしてて、収益性メインで考えてたんです。だからいろいろな業種に手を出しちゃった」
これらのお話からも分かる通り、実は中岡さんが「福祉」というテーマと出会ったのは半ば偶然。しかしこれが、ゆくゆく運命の出会いとなっていくのです。
ADHDである自分は、いま楽しく働いている
中岡さんの歩む道を大きく変えるきっかけとなったのは、先ほどもご紹介した、放課後等デイサービス事業者の経営へ関わるようになったこと。そこで聞こえてきたのは、障害を持つ子どもやその親が将来を悲観する声でした。
実は中岡さん自身も大人になってからADHDと診断された一人。納期管理が苦手でケアレスミスも多いなど、日頃から仕事のしづらさを感じていたなかで病院を受診し、判明したそうです。
「ただし、僕はあんまり関係なく仕事ができていた。軽度だったからというのもありますが周りのサポートもあってそんなに支障はなかったし、逆にその特性があったからできたこともありました。でも、ここの施設に来ると『将来どうしよう』って言っている親御さんとか、子どもさんのなかにも『俺って障害者だから進学とか就職は難しいよなぁ』とか『ちょっと他の子と違うからいじめられてる』とか、そういう声があるんですよ。
自分も同じ立場だけど、好きなこととかやりたいことがあれば意外と集中できるのがADHDの特徴です。だから『いやいや、全然悲観しなくていいよ』って、メッセージを伝えたいなって思ったんですよね」
そこから、障害を持つ方の人生を一気通貫で支援したいと「わたし農園」のアイデアへ。農業を軸に据えたのは、知り合いの農家さんから「自然を相手にする農業は精神衛生上の安定に繋がりやすく、『種をまく』『土を耕す』などの農作業は過集中する特性にあっている」と教えてもらったことが理由でした。
そうして急いでアイデアをまとめている最中にN.PARK PROJECTが開催するビジネスピッチの存在を知り、登壇を決意。その後当社がサポートを提供する「N.PARK PROJECT賞」に選ばれたのは、冒頭の紹介の通りです。
実は中岡さん自身も大人になってからADHDと診断された一人。納期管理が苦手でケアレスミスも多いなど、日頃から仕事のしづらさを感じていたなかで病院を受診し、判明したそうです。
「ただし、僕はあんまり関係なく仕事ができていた。軽度だったからというのもありますが周りのサポートもあってそんなに支障はなかったし、逆にその特性があったからできたこともありました。でも、ここの施設に来ると『将来どうしよう』って言っている親御さんとか、子どもさんのなかにも『俺って障害者だから進学とか就職は難しいよなぁ』とか『ちょっと他の子と違うからいじめられてる』とか、そういう声があるんですよ。
自分も同じ立場だけど、好きなこととかやりたいことがあれば意外と集中できるのがADHDの特徴です。だから『いやいや、全然悲観しなくていいよ』って、メッセージを伝えたいなって思ったんですよね」
そこから、障害を持つ方の人生を一気通貫で支援したいと「わたし農園」のアイデアへ。農業を軸に据えたのは、知り合いの農家さんから「自然を相手にする農業は精神衛生上の安定に繋がりやすく、『種をまく』『土を耕す』などの農作業は過集中する特性にあっている」と教えてもらったことが理由でした。
そうして急いでアイデアをまとめている最中にN.PARK PROJECTが開催するビジネスピッチの存在を知り、登壇を決意。その後当社がサポートを提供する「N.PARK PROJECT賞」に選ばれたのは、冒頭の紹介の通りです。
ビジネスピッチの表彰式
入賞特典である経営コンサルティングの開始当初、飲食事業の拡大などもまだ視野に入れていた中岡さん。当時、当社のコンサルティングに期待をしていたのは「わたし農園」のブランディング部分でした。
ところが、コンサルタントの中川政七(中川政七商店会長)からおくられたのは「福祉のビジネスモデルは筋が通ってるから、福祉事業全体でビジョンを決めたら?」という言葉。そしてその後のコンサルティングを通じ、中岡さん自らの内にある想いを引き出していくなかで、中岡さん自身も福祉事業に注力することに「しっくりきた」のでした。
「びっくりしたのは、最初の1回(約120分)は、僕の生い立ちを聞くのがメインみたいな感じだったんですね。それで最後に『これまで感動したアニメとか漫画はある?』って中川さんに言われて。驚きつつも『H2』とか『金色のガッシュベル!!』とか挙げていて気付いたのは、自分はやってきたことが報われたり、隠れていた才能とか努力とかが報われる瞬間がすごい好きなんだってことです。
その想いをもとにワードにしていって、最終的には『全ての個性が報われる道を開く』というビジョンができました。自分の将来を悲観してる子どもたちを何とかしたい、個性が報われる世の中にしたいって想いからできたビジョンです。
それがすごくしっくりきて、そこからはそのビジョンに沿った事業展開にしようと思いました。そう決めたらやりたいことがどんどん出てきた。今は子どもたちが障害に気づいてから就職するまでの一気通貫支援を早くできるようになりたくて、それで、いろいろ事業計画も変わりました」
ところが、コンサルタントの中川政七(中川政七商店会長)からおくられたのは「福祉のビジネスモデルは筋が通ってるから、福祉事業全体でビジョンを決めたら?」という言葉。そしてその後のコンサルティングを通じ、中岡さん自らの内にある想いを引き出していくなかで、中岡さん自身も福祉事業に注力することに「しっくりきた」のでした。
「びっくりしたのは、最初の1回(約120分)は、僕の生い立ちを聞くのがメインみたいな感じだったんですね。それで最後に『これまで感動したアニメとか漫画はある?』って中川さんに言われて。驚きつつも『H2』とか『金色のガッシュベル!!』とか挙げていて気付いたのは、自分はやってきたことが報われたり、隠れていた才能とか努力とかが報われる瞬間がすごい好きなんだってことです。
その想いをもとにワードにしていって、最終的には『全ての個性が報われる道を開く』というビジョンができました。自分の将来を悲観してる子どもたちを何とかしたい、個性が報われる世の中にしたいって想いからできたビジョンです。
それがすごくしっくりきて、そこからはそのビジョンに沿った事業展開にしようと思いました。そう決めたらやりたいことがどんどん出てきた。今は子どもたちが障害に気づいてから就職するまでの一気通貫支援を早くできるようになりたくて、それで、いろいろ事業計画も変わりました」
NAKAGAWA’s eye
明確にやりたいことがあるわけではなかった、という感覚は僕も近いです。
ただそれは「具体的なやりたいこと」がないだけで「抽象的なやりたいこと」はどんな人にもあるはず。抽象的なやりたいこととは、楽しいとか嬉しいとかテンションが上がるとか、つまりは本人の価値観にそうものです。
それを発見するためにコンサルティングでは漫画や映画の話をいつも聞きます。
ただそれは「具体的なやりたいこと」がないだけで「抽象的なやりたいこと」はどんな人にもあるはず。抽象的なやりたいこととは、楽しいとか嬉しいとかテンションが上がるとか、つまりは本人の価値観にそうものです。
それを発見するためにコンサルティングでは漫画や映画の話をいつも聞きます。
奈良を福祉で変えていく
そうして2022年1月、中岡さんは想いが詰まったビジョンを福祉部門のスタッフに発表。「正直、あんまり反応はないかなと思ってた」と話す中岡さんですが、蓋を開けてみると「この言葉が好きでした」といった感想が届いたり、施設のスタッフルームにいつの間にかビジョンが貼られていたりと、思いもよらない反応が多数あったそうです。
「みんな、やっぱり同じような想いを持ってるんやなってわかって嬉しかったですね。まぁいろんなとこに貼ってあって恥ずかしかったですけど(笑)」
少し照れながら話す中岡さんは、いつの間にか、インタビューを開始した頃の飄々とした表情から笑顔に変わっています。
「みんな、やっぱり同じような想いを持ってるんやなってわかって嬉しかったですね。まぁいろんなとこに貼ってあって恥ずかしかったですけど(笑)」
少し照れながら話す中岡さんは、いつの間にか、インタビューを開始した頃の飄々とした表情から笑顔に変わっています。
NAKAGAWA’s eye
ビジョンを最初に社内に共有するときはドキドキするものです。中岡さんの場合、予想を超えて社内の反響が大きかったのは非常に稀な、スムーズなケースだと思います。
中川政七商店で初めてビジョンの話をしたときは全員ぽかんとしてました。笑
ビジョンが世の中に届くには様々なステップがありますが、その最初のステップが社内共有(インナーブランディング)です。社内に響かないものは社外には届きません。
中川政七商店で初めてビジョンの話をしたときは全員ぽかんとしてました。笑
ビジョンが世の中に届くには様々なステップがありますが、その最初のステップが社内共有(インナーブランディング)です。社内に響かないものは社外には届きません。
「今年はいま運営している学習や運動支援の施設に加えて、就職準備のための施設や就労継続支援施設をつくる予定です。一気通貫支援に向けた縦の成長、経済的自立の支援を目指すイメージですね。で、来年は“働く”だけじゃなくて、音楽とかアートに興味を持てるような場所をつくったり、いろんな施設のOB会を開催したり、精神的自立を目指した横の成長を目指す場を考えていきたい。
これまではいろいろ飛び地の事業をしていましたが、もうそんな暇ないなって。もちろん今いる飲食や送迎、美容事業のスタッフも一つの“個性”で大事にしたいので、今後は会社を分けて運営します。改めて福祉専門の会社をつくって、そっちはとことん福祉に特化させていこうって考えてます」
これまではいろいろ飛び地の事業をしていましたが、もうそんな暇ないなって。もちろん今いる飲食や送迎、美容事業のスタッフも一つの“個性”で大事にしたいので、今後は会社を分けて運営します。改めて福祉専門の会社をつくって、そっちはとことん福祉に特化させていこうって考えてます」
NAKAGAWA’s eye
ビジョンを定めることで、戦略が生まれます。
戦略とは何をやるかを決めることであり、裏を返せば、やらないことを決めることでもあります。
福祉に直接関係ない会社を分社化しよう、飛び地の事業をやっている暇はない、という中岡さんの感覚はまさにビジョンと戦略が機能している証ですね。
戦略とは何をやるかを決めることであり、裏を返せば、やらないことを決めることでもあります。
福祉に直接関係ない会社を分社化しよう、飛び地の事業をやっている暇はない、という中岡さんの感覚はまさにビジョンと戦略が機能している証ですね。
これまでは一つのテーマに執着せず、持前のフラットさでさまざまな事業に身を投じてきた中岡さん。自分から生まれるこだわりを手にするのは、中岡さんにとっても初めてのことなのかもしれません。
想いを注げるテーマを見つけた中岡さんは、きっとこれからたくさんの個性を助け、また、ご自身も新しい自分の個性に出会っていくのだろうーー。そう思うと、あたたかな気持ちが込み上げてきました。
想いを注げるテーマを見つけた中岡さんは、きっとこれからたくさんの個性を助け、また、ご自身も新しい自分の個性に出会っていくのだろうーー。そう思うと、あたたかな気持ちが込み上げてきました。
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株式会社はたご
公式サイト:https://hatago-nara.com/
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文・写真:谷尻純子
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