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塩津植物研究所#01

種木の生産、植物の治療専門「塩津植物研究所」。“夢ではなかった”天職との出会い

IDEA
2022.02.09
日本最初の都城である藤原京が造られ、かつては日本の中心地として歴史を刻んできた地・奈良県橿原市。現在は県内二番目の都市にありにぎやかな様子も見られるものの、一本、二本と道を入っていくと、広がるのは城下町のなごりをとどめた町並みです。

2016年よりこの場所に活動の拠点を移した塩津植物研究所は、和歌山県出身の塩津丈洋(たけひろ)さんと、奈良県出身の久実子さんがご夫妻で営む、文字通り植物の研究所。自身を「種木屋」と名乗る塩津植物研究所では、盆栽に使われる苗木の生産の他、植物のメンテナンスや盆栽にまつわるワークショップ、県内の施設や個人宅の植栽など、植物にまつわる事業を幅広く手がけておられます。

もともとは丈洋さんが東京で開いた、植物の治療を専門とする「塩津丈洋植物研究所」から始まった同店。「でも、植物を扱うのは別に夢とかじゃなかったんですよね」と、丈洋さんは朗らかな笑顔で話します。

そんな丈洋さんがなぜ盆栽を仕事にするようになったのか。そして、どうして2人は奈良に活動の拠点を変え、盆栽屋でなく種木屋と名乗るようになったのか。

暮らしと地続きにある仕事を楽しみ、愛する、丈洋さん・久実子さんご夫妻に、その想いを伺ってきました。
塩津植物研究所
2010年設立。奈良県橿原市に店舗を構え、種木屋として活動。実生、挿し木、取り木など様々な園芸技法を用い、生産した種木から盆栽への仕上げまでを一貫して行う。草木の生産や培養、治療にも注力。

余白と可能性のある“種木”

中川政七商店がならまちで運営する鹿猿狐ビルヂングでは2週間に一度、少しだけ、店内の景色が変わります。春には春の、秋には秋の眺めを添える助けをしてくれるのは、大小さまざまな盆栽たち。館のなかにいながらにして春夏秋冬の流れを感じさせてくれる、施設の姿にもスタッフの心にも欠かせない存在です。

鉢のなかに季節の移ろいを込めて届けてくれるのは、今回訪ねた塩津植物研究所。歴史を重ねてきた奈良県橿原市に位置し、古都の空気を残した町のなかに、そのお店はあります。約300坪という広い敷地は、ほとんどが苗木を育てる棚場やビニールハウス。この場所で扱う種木の数はおよそ200種・3万本にものぼるそうです。
力強くやさしい木々の緑が広がる塩津植物研究所は、塩津丈洋さんと久実子さんがご夫妻で営む、文字通り植物の研究所。夫妻は自分たちをして「種木屋」と名乗り、冒頭にご紹介したとおり施設などへの盆栽搬入はもちろん、種木の生産や販売、植物の治療、盆栽のワークショップなど、植物との暮らし方を多様なアプローチで提案しています。

そもそも「種木」とは、盆栽になる前の素材のこと。鉢に入り景色を携えれば盆栽と呼ばれますが、種木の段階では決まった使われ方はなく、極端にいえば鉢に入らなくてもいいのだと、久実子さんは教えてくれました。

「種木の段階では行き先とかは何も決まってなくて、それをどうしてもらってもお客さんの自由です。もちろん盆栽用に育ててはいますが、枝を切って生け花にしても、庭に植えてもらっても、別に『こうしなきゃダメ』っていうのは決まってない。余白があって、可能性が無限にあるのが種木のいいところです」(久実子さん)

植物を仕事にするのは夢ではない。けれど、自然なことだった

2016年に今の場所へ居を移した同店の前身は、丈洋さんが東京で開いた塩津丈洋植物研究所。大学時代は植物にまつわるあらゆるアルバイトを経験したというからには、さぞかし昔から植物一筋で生きてきたのかと思いきや「高校生のときの夢は、漫画家になることだったんですよね」と丈洋さんは明るく笑います。聞くと、植物を仕事にしようと思ったのは大学に入ってからのことだったそう。

夫妻いわく丈洋さんの地元は「和歌山県のなかでも、すごく田舎」な場所。都会にあるような施設は一切なく、子どもの頃から18歳まで、山と海と川が丈洋さんの遊び場でした。「だから自然にすごく詳しかったんですよ。一番興味を持ったのが自然だった」と丈洋さんは続けます。

そんな丈洋少年は美術が得意で、高校では美術部に入り風景画をよく描くように。思えばこの時も、植物にまつわる絵を描いていたと懐かしそうに振り返ります。ただしこの時点での将来の夢はあくまで漫画家。植物を仕事にしたいと強く思っていたわけではありませんでした。

「植物を仕事にするのは夢ではなくて、それが日常だったというか。だから夢は全然別にありました。高校生のとき、ジャンプに投稿とかしてましたもん。結構本気でやってました」(丈洋さん)
絵を描くことを仕事にしたいと考えていた丈洋さんは、そのまま美大への進学を目指します。しかし画家をしていた美術の先生から「絵の才能がない」と指摘されたことを機に、芸術の道は諦めたのだそう。

「『塩津は絵では無理だ。でも芸術は無理なんだけど、デザインの才能がある』って言われたんですね。自分でも薄々わかってたんですけど、面と向かって言われたので『ああそうか、才能がないんだ』って受け入れられたんですよ。それで油絵をやめて、デザインで大学を受けたら受かって。だから僕の場合は信頼する人に道をつくってもらったみたいな感じだったんですかね。自分も素直に、そうなんだと思えて。受けたら受かっちゃったから」(丈洋さん)

その後名古屋の芸術大学に入学し、2年生のときに木が好きだという理由からデザイン科のなかでも建築コースを選択。そこからは日本建築を学び、宮大工を目指して家具を色々とつくっていきました。しかし“木が好きすぎて”、途中から製材ではなく生きた木を扱う仕事がしたいと考えるようになります。

そうして丈洋さんは、林業や農業、花、観葉植物など、植物にまつわるあらゆる職種の方へ連絡。「タダでいいので働かせてほしい」と熱意を伝え、修業に出ました。
NAKAGAWA’s eye
金銭の見返りなしに働くというのは、自分の意志以外の何物でもないわけです。金銭の見返りがあっても、独立のためでなくても、仕事に対​するこれからの時代の向き合い方としてかくあるべきだと思います。
今の仕事に繋がる盆栽の師匠に出会ったのもこの頃。最初は一つの選択肢として手に取りましたが、丈洋さんにとってそれは、一番 “美しい” と心を動かされるものでした。

「もともと隈研吾さんが好きで。高校生のとき、雑誌で隈さんがご自身の建築に欠かせない職人さんを紹介するコーナーがあって熟読してたんです。和紙とか竹とか、隈さんが選ぶ職人としていろんな方が出ていて、そのうちの一人として、将来僕の親方になる人が出てたんですよ。

それで大学3年生くらいのときに『そういえばあのとき……』って思い出して、東京にいる親方に連絡を取りました。名古屋からバイクで行って、親方のとこでお手伝いをはじめたんですよね。並行して農業とか林業とかいっぱい行ってたんですけど、いまいちピンとこなくて。いろいろやったなかで一番この人だって思えたのが、盆栽をやってた親方でした」(丈洋さん)
卒業後は師匠の家に住み込み、家の掃除や食事の準備をしながら盆栽を学んだ丈洋さん。技術や知識もさることながら、このとき最も学んだのは、植物と対峙するときの精神だったと目を細めます。

「親方から一番教わったのは、盆栽をなりわいにしていく、この仕事をするときの心構えというか、そういう精神性の部分ですよね。植物との接し方とか心の使い方は独学では学べなかったなと。生き方を教えてもらいました」(丈洋さん)

「丈洋さんが師匠から、『つくったものに対して愛がない』って言われたことがあったらしくて。『お前がつくったこれには愛がない』って。(師匠は)そういうことを常に実践されている方って印象があります。厳しいけど植物への愛情がすごくある方で、そこを一番引き継いだよね」(久実子さん)

「うん、本当によかったです。僕、本当にちゃらんぽらんだったので、どうしようもなかったんです(笑)。そのときつくった盆栽は実際、愛がなかったですね。カッコつけてました。今は絶対やらないですけど、パッと見にいいものをつくってて、見た目重視の、1年持たないような植え方をしていました」(丈洋さん)

「10,001店舗目では意味がない」塩津丈洋植物研究所の開業

3年ほど修業をした末、自身のお店を構えたいと思い独立。とはいえお店を構える前には1年ほど全国各地を放浪し、ヒッチハイクをしながらいい庭や植物を見て回ったというエピソードからは、丈洋さんの自由な発想と豊かなアイデアを大切にする人柄が伝わってきます。

そうして2010年、日本中をまわる旅を終えた丈洋さんは、東京都世田谷区で今の前身となる「塩津丈洋植物研究所」を開業。しかしこのお店、実は盆栽を販売する、一般的な「盆栽店」ではありませんでした。

当時の丈洋さんが事業の軸に据えたのは植物のメンテナンス。他の店舗で購入した盆栽が弱ってきた際に、そのケアをするといったイメージです。

「植物を売るお店って日本で10,000店くらいあるんですけど、10,001店舗目をつくっても仕方ないなと思ったんです。親方も現役だったので、僕の盆栽を買うより親方の盆栽を買うほうがいいなって」(丈洋さん)
NAKAGAWA’s eye
事業セグメントの話ですね。同じように盆栽を売るにしても「自分たちは何者であるか?」は自分で決めることができます。その定義がユニークであれば、それが事業セグメントレベルでの差別化要因となります。
当時のお店(写真提供:塩津植物研究所)
屋号にした「塩津丈洋植物研究所」は、何をしているお店か子どもからおじいちゃんまでわかりやすいように、という想いからつけたもの。盆栽店は通常「〇〇園」といった店舗名をつけるところが多いそうですが、ここにも丈洋さんの心の使い方が垣間見えます。

「まあ、最初は誰にも伝わらなかったんですけどね(笑)。もう全然売れなくて、誰も来ない日が続く感じで2年くらいは食べられなかったです。形がないものだし、誰もやってないことだし。僕はそのとき『時代が僕に追いついてきてない』って言ってたんですけど(笑)」(丈洋さん)

しかし細々とお店を続けていくうちに、徐々に口コミで噂が広まってきた同店は、メディアにもしばしば取材を受けるまでに認知を拡大します。

また主軸の事業のほかに開催していたワークショップも、名前を知られるきっかけとして大きく寄与したそう。趣味のなかでも比較的ハードルが高く思える盆栽を、ポップなファッションに身を包んだ若者が教えるという意外性もあり、依頼が続くようになっていきました。

こうしてユナイテッドアローズやイデーなど、感度の高い若者が集まるライフスタイルショップから、ワークショップの依頼を次々と受けるようになった塩津丈洋植物研究所。今のお店につながる久実子さんとの出会いも、このワークショップだったそうです。
NAKAGAWA’s eye
序盤のコミュニケーション設計の主線が「コミュニケーションがしっかりとれるワークショップ」だったわけですが、それが“通常の盆栽店とは違う”という、伝わりにくいものを伝えるのにちょうどよかったのだと思います。はまりましたね。

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INFO

塩津植物研究所

奈良県橿原市十市町993 - 1
公式サイト:HP / Facebook / Instagram

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文:谷尻純子 写真:奥山晴日

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