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今西酒造#01

今西酒造の十四代 蔵主は元人材会社のエース。日本酒発祥の地で酒造りを究める今西将之さんは、なぜ“普通”じゃないキャリアを重ねたのか

IDEA
2021.06.04
お酒の神様が宿る三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)や、杜氏の神様が祀られる活日(いくひ)神社。2つの神社が鎮座する奈良県桜井市・三輪の地は、日本書紀に“酒造り発祥の地”としてつづられる始まりの場所です。

そんな三輪で唯一今も酒造りに取り組む酒蔵、今西酒造株式会社。「三諸杉(みむろすぎ)」「みむろ杉」を代表銘柄とするこの酒蔵の蔵主は、十四代目の今西将之さんです。

今西さんが28歳で蔵を継いでからもうすぐ10年。事業承継後、日本酒にまつわる各種のコンクールで賞を総なめにするなど、今西酒造は日本酒界でも一躍注目を浴びる存在となりました。

しかし継いだときから順調だったのかと言えば「蔵に戻ってきたときは『人生終わった』と思いました(笑)」と今西さん。当時の今西酒造は債務超過もいいところ、経営状況としては非常に厳しい状態にありました。

たった数年で蔵の経営を立て直し、酒造りに関して挑戦に次ぐ挑戦を重ねてきた今西さん。これまでの挑戦と、これからの挑戦を伺いました。

前中後編でお届けするなかの、本記事は前編です。
今西酒造
1660年(万治3年)に創業。酒の神が鎮まる、酒造り発祥の地とされる奈良・三輪の地で現存する唯一の酒蔵。360年以上造られる代表銘柄の「三諸杉」は、三輪山が古来より「三諸山」と呼ばれていること、 三輪山の「杉」には神様が宿るとされていることから名付けられた。

酒造り発祥の地で唯一の酒蔵・今西酒造

JR三輪駅から徒歩約3分。日本家屋が立ち並ぶ歴史ある町並みを眺めながら、細い路地を歩いていると、軒先に大きな杉玉を飾った一軒の老舗酒蔵・今西酒造が現れます。
三輪駅から今西酒造と反対方向に6分ほど歩いた場所には、お酒の神様が鎮まる三輪山をご神体とする、日本最古の神社・大神神社が。この神社がある三輪の地は酒造り発祥の地とされ、日本最古の書物である日本書紀にもこの地での酒造りにまつわる物語が記されています。

「三輪っていう地はすごい場所なんですよ。もう歩けば歴史にあたる場所で、いろんなものの発祥の地とされています。例えば仏教とか相撲、芸、そうめん。ご多分にもれず、酒造りの始まりの地ともされています。

お酒って元々は飲んで酔ったような感覚になること、つまりトランス状態になることで神様と交信するツールだったんです。卑弥呼にしても陰陽師にしても、昔はお酒を飲んでお告げをしていたと言われています。ちなみに、卑弥呼の墓もすぐそこにあるんですよ。

だから、お酒と神様っていうのはものすごく密接なわけで。地元の大神神社は日本最古の神社で、最古の神と酒が密接なものになり、この地から酒造りが始まったとされています。

大神神社って、大きな神って書いて『おおがみ』ではなく『おおみわ』って読むんです。実は昔は、神という字は『みわ』って読んだんですよ。今では『お神酒』は神の酒と書いて『みき』と読みますが、昔は『みわ』と読んでいたそうです」

今西酒造の十四代目・今西将之さんは、そんな風に、三輪とお酒の関係について楽しそうに語ります。
今西酒造の代表銘柄は「三諸杉」と「みむろ杉」。漢字の「三諸杉」は奈良県内のみで流通する創業時からの銘柄で、ひらがなの「みむろ杉」は今西さんが蔵を継いでから新たに立ち上げた銘柄。こちらは全国43店の特約店を経由し、日本各地や海外で販売されます。

本店の他、三輪駅前や大神神社の参道に直営店を持つ今西酒造には、お酒はもちろん、三諸杉の酒粕が入った入浴剤やソフトクリームなど、お酒を使った様々な品を求めて全国からファンが訪れます。

現在社員は30人。うち蔵人が18人の今西酒造は、奈良県の酒蔵のなかでも快挙となる「全国新酒鑑評会」で5年連続金賞を受賞。その他、数々のコンクールで上位を席巻する名実ともに注目の酒蔵ですが、今西さんが継いだ当初は“明日にも潰れる”状態だったといいます。

「三諸杉」が人生の意思決定基準

もともと、幼いころから蔵を継ぐと決めていたという今西さん。人生の意思決定はずっと「三諸杉」だったと振り返ります。

「父や母からは『継げ』と言われたことがなくて、『お前が継ぎたかったら継げ』というスタンスでした。でも自分なりに、小さい頃から父親のことを『かっこいいな』って思ってたんです。

すごいアクが強くて、未来を語る、夢を語るような魅力的な父親やったんですよ。こういうおっさん、かっこええなって思ってて。僕はその背中を見て、やっぱり自分が家業を継ぎたいなと思ってました」
NAKAGAWA’s eye
「継げ」と言われなかった点は私も同じでしたが、それを受けての本人の意志が全く違いますね。私は父に対してそういうふうに思ったことがなかった。笑
そのあたりの違いが経営へのスタンスにも現れているかもしれません。どちらが良いとかではなく。
幼い頃から事業を継ぐ覚悟を決めていた今西さんには、同時に「自分が継ぐからにはもっと三諸杉を好きになってもらいたいし、有名なお酒にしたい」という野望もありました。

その野望から逆算し、今西さんは一般的な“酒蔵の跡取り”とは少し違った人生を選択していきます。

まずは大学受験。酒造りの業界では多くの跡取りが醸造学部のある東京農業大学を選んで進学するそうですが、今西さんが選んだのは関西にある同志社大学の商学部。意思を持ち、「あえて」の選択だったと話します。
「父親は東京農業大学出身だったんですが、僕が高校生のときに父親の同級生たち、つまり東京農業大学出身の蔵主が経営する蔵が潰れまくってたんです。その方々のキャリア形成を分析すると、大学を卒業して酒造卸会社や酒造会社で3年程度修行してから家業を継ぐ、という流れで、業界どっぷりのキャリア形成。

日本酒の消費量がドーンと落ちていた当時の状況に対して、その一方向のキャリア形成では世の中の状況変化に対する打ち手が打てていなかったんだと思います。

もちろん、そのキャリア形成をされた方々でも成功されていらっしゃる方は多数いるのですが、当時、身近な方の倒産はあまりにも衝撃で。『これ、東京農業大学を出たらそういう可能性も出ちゃうな』と、今から考えたら生意気なんですけど思ってしまって。

それやったら自分が40歳、50歳になった時に、別の業界にいるいろんな人とのネットワークをちゃんと持っていられて、世の中をフラットに見れるような人材になっておきたいなと思ったんですよね」
大学を卒業後は人材紹介事業を営む株式会社リクルートエージェント(現 株式会社リクルートの人材事業領域)に就職。この道に決めたのもまた、将来起こりうる経営課題に対して知見を溜めておきたいと考えたからでした。

「就活の時、まずアルコール業界か、そうじゃない業界かっていう判断がありますよね。僕は“じゃない”業界に進みました。

もともと30歳で蔵に戻るって決めていたので、そう考えたら若いうちにビジネスとしてのスキルとか素地をつけたかったんです。社会情勢がいろいろ変わるなかで、その打ち手が打てるような人材になりたいと思って。

アルコール業界、特に日本酒業界はスピードがすごくゆっくりなんです。なぜかというと、対象にしてるのが自然のもの、つまり穀物だから。お米のサイクルが一年なので、PDCAのサイクルがどうしても一年になるんですよね。

一年でしかPDCAを回せないとなると、成長スピードに関わるなと危惧してて。だから若いうちに新しいことがたくさん生み出されて、PDCAをしっかり回せる会社やったら脳みそが鍛えられるなと思ったんですよね。それでアルコール業界じゃない企業を選びました」
NAKAGAWA’s eye
「じゃない」方を選ぶ、つまり「逆張りの選択」は一見勇気のあることに思えますが、高度成長期ではない現代において多数派の選択肢はむしろ外れと思ったほうが良いくらいです。
それよりもいずれ実家を継ぐこと見越しての選択理由(PDCAを早く回せる会社)が秀逸です。さすが。
アルコール業界ではない企業のなかでもリクルートエージェントを選んだのは、「採用っていうのをやりたかったから」。

「結局経営者って、お金か人に終始悩んでて。うちの親父もそうでした。もっとこういう人材がいたらなぁとか、そういうことですよね。

経営者はビジョンを描いて、ビジョンの船頭役なわけです。でも一緒にオールを漕ぐ仲間によっては、ビジョンに対して右に漕ぐ人もいれば後ろに漕ぐ人もいる。漕ぐスピードも人によって違いますしね。

やっぱり“人”なんですよね。それに対する悩みを父親からずっと聞いていたので、人に携わる仕事をしたいなって」
就職後、1年間はなかなか結果が出せなかったという今西さんですが、叱咤激励してくれる上司に恵まれ、仕事のスタンスを大きく変えてからは全社トップの営業成績をとるほどに。その後、数年にわたり会社のエースとして活躍を続けます。

「2年目の頃から目標数字はずっと達成をしてて成績が良かったんですけど、全社で見ると2番に居続けていました。それでも十分すごいんですけど、当時の上司がかけてくれた言葉がまた良くて。

『お前な、2番と1番の差って何か知ってるか? お客様のためにどれだけやり切れてるかや』と。『自分の能力の範囲でしかお客様と対峙していなくて、お前はまだやりきれていない』って言われたんです。

お客様の求める期待値に対して、自分自身を変えないといけないし、自分の能力では足りないんだったら周りを巻き込み倒してでもやれって。自分の能力がどうとか、そんなんお客様と関係ないからやりきれって言われました。僕、そらそやなって思って。

そこからスタンスが変わってもう一段ステージが上がりましたね。3年目からは全社トップの成績をずっととれるくらいになれました。

前職ではお客様のためにどれだけやり切るかとか、そのやり切るレベル感をスタンスとして勉強させてもらったと思います」
NAKAGAWA’s eye
あのリクルートでこの成績!すごいとしか言いようがありません。実は中川政七商店 中途入社組の中で前職リクルートという人が一番多いのですが、その人達もみんな知っているくらい有名人だったようです。
ちなみにこの話するときの今西さんの悪びれないところが面白いので、皆さんぜひ触れてみてください。笑

父親の急逝により急遽、事業を継ぐことに

順調にビジネススキルを伸ばしていた今西さんでしたが、それは、蔵に戻ると決めていた30歳より2年早い、28歳の頃。商談中に胸ポケットの携帯電話が鳴ったところから突然、人生が激変します。

電話の主は先代のお父様。「将之、大変や。余命3か月と告げられた」と衝撃的な内容が、まだ20代の今西さんに伝えられました。

急遽、当時担当していたお客様の引継ぎをし、会社を退職して蔵に戻った今西さん。しかし家族の祈りも叶わず、お父様はその後1週間で逝去されます。

蔵に戻ってから酒造りのノウハウを叩き込んでもらおうと考えていた今西さんでしたが、現実では事業も酒造りも引継ぎは全くなく、突如として社長に就任。また戻ってみて初めて、実家の事業が大赤字であるという事実を知ることにもなりました。

「当時うちの蔵は多角経営をしてて、酒造りの他に飲食店と小さな宿泊業もしていました。

だけどどれも事業は真っ赤で、債務超過もいいところ。金利もすごくて、このままやったら確実に潰れるという状況なわけです」

厳しい現実を目の前にして、早急に技術のキャッチアップと経営の立て直しを余儀なくされた今西さんは、まず、一つの覚悟を決めました。

「多角経営した状態で潰れたらご先祖様にも申し訳がたたんし、自分自身も嫌やなと思って。やっぱり酒で、本業で本気でやってみて、これで潰れたらもう仕方ないなと。他の事業をたたんで、お酒造りを本気でやろうと決めました」

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INFO

今西酒造株式会社

本店:奈良県桜井市大字三輪510番地
定休日:日曜日(12月除く)
公式サイト:HP

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文:谷尻純子 写真:奥山晴日

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