おてらおやつクラブ#01
子どもの貧困問題を支援「おてらおやつクラブ」発起人・松島靖朗さん。異色の経歴からお坊さんへ
IDEA
2021.04.10
フードロス削減が叫ばれるほど飽食の時代となった令和の日本。しかしその陰に隠れて、今もなお7人に1人の子どもたちが貧困に苦しんでいることはご存じでしょうか。
2013年に大阪市北区で起きた、20代の母親と3歳の子が餓死状態で見つかる痛ましい事件を機に、この「子どもの貧困」問題に立ち上がった一人のお坊さん・松島靖朗さん。
奈良県の安養寺で住職を務める松島さんが発起人となった「おてらおやつクラブ」は、仏さまへの「おそなえ」を貧困家庭に「おすそわけ」する活動で、現在は47都道府県、1605か寺の寺院が参加しています。
支援している子どもの数は、ひと月22,000人(いずれも2021年4月時点)。2018年にはその画期的な取り組みが評価されグッドデザイン大賞も受賞しました。
高校入学後わずか2週間で中退、IT企業に就職し経営企画室に勤務など、お坊さんとしては異色の経歴とも思えるおてらおやつクラブの松島さん。そんな松島さんに、この活動に至る経緯と、今後目指すものを教えてもらいました。
前中後編の3本立てでお届けするなかの、本記事は前編です。
2013年に大阪市北区で起きた、20代の母親と3歳の子が餓死状態で見つかる痛ましい事件を機に、この「子どもの貧困」問題に立ち上がった一人のお坊さん・松島靖朗さん。
奈良県の安養寺で住職を務める松島さんが発起人となった「おてらおやつクラブ」は、仏さまへの「おそなえ」を貧困家庭に「おすそわけ」する活動で、現在は47都道府県、1605か寺の寺院が参加しています。
支援している子どもの数は、ひと月22,000人(いずれも2021年4月時点)。2018年にはその画期的な取り組みが評価されグッドデザイン大賞も受賞しました。
高校入学後わずか2週間で中退、IT企業に就職し経営企画室に勤務など、お坊さんとしては異色の経歴とも思えるおてらおやつクラブの松島さん。そんな松島さんに、この活動に至る経緯と、今後目指すものを教えてもらいました。
前中後編の3本立てでお届けするなかの、本記事は前編です。
認定NPO法人おてらおやつクラブ
お寺のさまざまな「おそなえ」を仏さまからの「おさがり」として、直接または子どもをサポートする支援団体を通じ、経済的に困難な状況にある家庭へ「おすそわけ」をする活動を営む団体。同「おすそわけ事業」の他に、子どもの貧困を多くの人に伝える「啓発事業」や、文化的な機会や居場所を提供する「学び・居場所づくり事業」も行う。2018年にはグッドデザイン大賞を受賞。
お寺のおそなえをおすそわけ。おてらおやつクラブの活動
「僕たちが解決したいのは、子どもの貧困問題です。日本国内で生活している18歳未満の子どもの、7人に1人がいろんな事情によって生活が困窮する状況に置かれています。そのかなりの割合が、ひとり親家庭、特におじいちゃん・おばあちゃんとの同居がない、お母さんと子どもだけで生活している母子家庭なんですよ」
穏やかな口調で話し始めた松島さん。その佇まいは温かな雰囲気をまとうものの、手元にはMacのパソコン、活動を説明する際に使うのはつくりこまれたスライド資料と、いわゆる“お坊さん”とは異なる印象を受ける点も多々あります。
松島さんが中心となり取り組んでいるのは、子どもの貧困問題への支援活動「おてらおやつクラブ」。認定NPO法人として職員を抱えながら全国の参加寺院とともに、母子家庭を中心とした生活に困窮する家庭へ、仏さまへおそなえされたおやつのおすそわけ活動を行っています。
穏やかな口調で話し始めた松島さん。その佇まいは温かな雰囲気をまとうものの、手元にはMacのパソコン、活動を説明する際に使うのはつくりこまれたスライド資料と、いわゆる“お坊さん”とは異なる印象を受ける点も多々あります。
松島さんが中心となり取り組んでいるのは、子どもの貧困問題への支援活動「おてらおやつクラブ」。認定NPO法人として職員を抱えながら全国の参加寺院とともに、母子家庭を中心とした生活に困窮する家庭へ、仏さまへおそなえされたおやつのおすそわけ活動を行っています。
仕組みは次の通り。お寺には檀家さんをはじめ多くの方から日々、おそなえ(おやつ)が届きます。そのおそなえを、ひとり親家庭などの貧困家庭支援を行う地域の支援団体に送り、そこから支援が必要な家庭へおすそわけする流れが基本です。
2021年4月時点でこの活動に参加するのは、1605か寺と509の支援団体。ひと月に支援している子どもは22,000人にもなるのだとか。
おてらおやつクラブは上述の通り、支援を希望する寺院と支援団体をマッチングし、地域の子どもに支援がいきわたるようにサポートする役割を果たします。またその際、一つの支援団体に3つ程度のお寺を繋ぐことで、お寺の「おそなえがないから支援ができない」という状態をできるだけ防ぐような工夫もしているのだそう。
「おてらおやつクラブは地域のお寺と支援団体を繋げることで、地域の見守りをつくっていくことを基本に活動してるんです。支援団体を間に挟んでいる理由は、お坊さんは貧困問題の専門家ではないので、僕たちにできるのは専門家が現場で支援しているのを後方支援するくらいだろう、と考えたからですね。
参加いただいているお寺さんには、おやつを送る以上のことは特にお願いをしてません。送れるときに、送れるだけ送ってくださったらそれで結構ですとお伝えしています。
『毎月、こんなものを送ってください』みたいなことを言うとなかなか続かないですし、あるときにあるものを、あるだけ送ってもらうだけで大丈夫ですと」
2021年4月時点でこの活動に参加するのは、1605か寺と509の支援団体。ひと月に支援している子どもは22,000人にもなるのだとか。
おてらおやつクラブは上述の通り、支援を希望する寺院と支援団体をマッチングし、地域の子どもに支援がいきわたるようにサポートする役割を果たします。またその際、一つの支援団体に3つ程度のお寺を繋ぐことで、お寺の「おそなえがないから支援ができない」という状態をできるだけ防ぐような工夫もしているのだそう。
「おてらおやつクラブは地域のお寺と支援団体を繋げることで、地域の見守りをつくっていくことを基本に活動してるんです。支援団体を間に挟んでいる理由は、お坊さんは貧困問題の専門家ではないので、僕たちにできるのは専門家が現場で支援しているのを後方支援するくらいだろう、と考えたからですね。
参加いただいているお寺さんには、おやつを送る以上のことは特にお願いをしてません。送れるときに、送れるだけ送ってくださったらそれで結構ですとお伝えしています。
『毎月、こんなものを送ってください』みたいなことを言うとなかなか続かないですし、あるときにあるものを、あるだけ送ってもらうだけで大丈夫ですと」
異色の経歴から仏門へ
2014年に本取り組みを開始してからというもの、瞬く間に共感を集め、今や全国に広がる大きな輪となったこの活動。安養寺の住職でありながら同NPO法人の代表も務める松島さんが仏門に入ったのは、今から13年前、33歳の頃でした。それまでは何と、IT企業で働いていたというのだから驚きです。
「安養寺は母方の実家なんですけど、昔はお坊さんになるのが嫌で。親族のなかで、いとこも含めて女の子しかいなくて、唯一の男は僕だけやったんです。小さい頃から『将来はお坊さんになりなさい』という周りの期待をプレッシャーに生きてきたんですね。だから、経歴がめちゃくちゃなんですよ、僕(笑)」
一度は大阪府にある仏教系の高校に入るものの「このままやったら、ほんまに坊さんになってしまう」と入学後に気づき、わずか2週間で退学。「もうちょっと早く気づけよって感じですよね」と、松島さんは笑いながら振り返ります。その後、奈良県内の高校に入学しなおした後、東京の早稲田大学へ進学しました。
「何が嫌だったかっていうと、周りと違って特殊な環境で、『お寺で生まれたんだから、お坊さんにならないといけない』みたいに言われることです。高校生になってもやっぱりお坊さんになりたくなくて、『どうやったらならないで生きていけるか』って思った時に、東京に行ってしまえば物理的にも離れられると思ったんですね。
もう、とにかく普通に、静かに生きさせてくれっていうのが、当時僕が常に考えてたことで。東京に行けば、自分の生き方を普通に考えられる環境に身を置けるだろうと思って、頑張って勉強して東京の大学に行きました」
「安養寺は母方の実家なんですけど、昔はお坊さんになるのが嫌で。親族のなかで、いとこも含めて女の子しかいなくて、唯一の男は僕だけやったんです。小さい頃から『将来はお坊さんになりなさい』という周りの期待をプレッシャーに生きてきたんですね。だから、経歴がめちゃくちゃなんですよ、僕(笑)」
一度は大阪府にある仏教系の高校に入るものの「このままやったら、ほんまに坊さんになってしまう」と入学後に気づき、わずか2週間で退学。「もうちょっと早く気づけよって感じですよね」と、松島さんは笑いながら振り返ります。その後、奈良県内の高校に入学しなおした後、東京の早稲田大学へ進学しました。
「何が嫌だったかっていうと、周りと違って特殊な環境で、『お寺で生まれたんだから、お坊さんにならないといけない』みたいに言われることです。高校生になってもやっぱりお坊さんになりたくなくて、『どうやったらならないで生きていけるか』って思った時に、東京に行ってしまえば物理的にも離れられると思ったんですね。
もう、とにかく普通に、静かに生きさせてくれっていうのが、当時僕が常に考えてたことで。東京に行けば、自分の生き方を普通に考えられる環境に身を置けるだろうと思って、頑張って勉強して東京の大学に行きました」
NAKAGAWA’s eye
継げと言われると継ぎたくなくなるのが人の性ですね。私は逆に一度も継げと言われたことがなかったので、転職先の一つくらいの感覚で結果的に継ぎましたが。
松島さんが上京したのは1996年。その頃世間では前年に発売された「Windows95」が注目を集めており、インターネットの黎明期でした。「インターネットによって、これから世の中がどんどん変わっていく」。松島さんもそう関心を持った一人で、自身もインターネット事業で起業したいという志をもっていたそうです。
卒業後は株式会社NTTデータへ入社し、ネットベンチャー企業に投資を行う事業へ配属となりました。そして徐々に、外側からベンチャー企業の事業拡大に関わるのではなく、内側から事業を大きくしたいと考えるようになり、投資先のなかでも一番面白い事業に取り組んでいた株式会社アイスタイルへ転職。経営企画室に所属し社長と2人で事業の構想をしたり、同社が運営している「アットコスメ」のプロデューサーを務めたりと、刺激的で多忙な毎日をおくっていました。
NAKAGAWA’s eye
アットコスメの運営に携われていたのだと初めて知りました。グッドデザイン賞の審査員を一年だけ務めましたが、その時ビジネスデザイン部門で賞を送ったのがアットコスメ事業でした。不思議なご縁を感じます。
そうこうして東京生活も十数年が過ぎた頃、「普通に生きたい」と願っていた松島さんの心境に変化が生じ始めます。
「東京にはいろんな人がいて、『この人すごいな。この人みたいになりたいな』と思う人って、どこか人と違う生き方をされてる人が多くて。そんななか、自分は人と違う環境が嫌で、普通に生きたいと思っていることにギャップを感じたんですね。
普通を求めることがすごくつまらないことに思えてきて『じゃあ、自分にできて人にはできないユニークな生き方ってなんだろうな』と思った時に、そこでようやく、お坊さんになるってことが魅力的に思えてきたんです。それで、奈良に戻って修行することを受け入れたという感じですね」
「東京にはいろんな人がいて、『この人すごいな。この人みたいになりたいな』と思う人って、どこか人と違う生き方をされてる人が多くて。そんななか、自分は人と違う環境が嫌で、普通に生きたいと思っていることにギャップを感じたんですね。
普通を求めることがすごくつまらないことに思えてきて『じゃあ、自分にできて人にはできないユニークな生き方ってなんだろうな』と思った時に、そこでようやく、お坊さんになるってことが魅力的に思えてきたんです。それで、奈良に戻って修行することを受け入れたという感じですね」
最終出社日に断髪式をした松島さん(画像提供:おてらおやつクラブ)
松島さんが奈良に戻ったのは2008年。そこから2年半ほど修業を積み、35歳でお坊さんになりました。その後2年ほどして住職(お寺の代表)になった頃、松島さんがおてらおやつクラブに取り組むきかけとなった、大阪市北区の母子餓死事件が発生します。
お寺のおそなえを支援団体へ届けるも、「全然足りない」
豊かな時代と思える日本で起きた、「餓死」というあまりにもショックな亡くなり方。松島さんはそこで初めて、豊かな社会の陰に隠れ、経済的な困窮をどこにも相談できない「貧困家庭の孤立」があることに気づきました。
「そういった悲劇を繰り返さないために何かお力添えできることはないかなと始めたのが、このおてらおやつクラブという活動です」
とはいえ松島さんは、最初から現在のスキームや、全国の寺院を巻き込んだ活動を考えていたわけではありません。
「自分のお寺にあるおそなえのおやつを、自分たちだけでは食べきれませんので、『どこか必要なところに届けられたら』なんていう、それくらいのことを思ってたんですね。何かいいことができたらな、というくらいに思ってたんです」
「そういった悲劇を繰り返さないために何かお力添えできることはないかなと始めたのが、このおてらおやつクラブという活動です」
とはいえ松島さんは、最初から現在のスキームや、全国の寺院を巻き込んだ活動を考えていたわけではありません。
「自分のお寺にあるおそなえのおやつを、自分たちだけでは食べきれませんので、『どこか必要なところに届けられたら』なんていう、それくらいのことを思ってたんですね。何かいいことができたらな、というくらいに思ってたんです」
初めは大阪の支援団体へ直接おやつを届けていた松島さん。「おやつがたくさんあるので、支援されてる子どもたちに届けてもらえませんか」と相談に行ったのがはじまりでした。
その後半年ほど支援を続け、松島さんは改めて支援団体へ様子を聞きに赴きます。そこで同団体の職員から、感謝の気持ちとともに伝えられたある言葉が、松島さんにおてらおやつクラブの活動に乗り出すきっかけを与えました。
「お母さんたちも喜んでくれてるし、お寺のおそなえって珍しいおやつもたくさんあるので、子どもたちもめちゃくちゃ喜んでますと言われて。そういう話を聞けたんで気分よくなってたんですけど、それだけで終わらなかったんですよ。
『松島さん、これ、全然足らないです』って支援団体さんがおっしゃって。もっともっと、自分たちと繋がりがあって、サポートしないといけない家庭が何百とあると。
今のおやつの量では全然足りなくて、何とかできませんかねっていう話があって。けどもう、自分のお寺だけでは精一杯ですから。ちょっと悩んだんですけど、よくよく考えてみたら全国にお寺はいっぱいあるし、他のお寺さんに声をかけていけばご期待に応えられるんじゃないかなと、ハッとさせられたんですよね」
その後半年ほど支援を続け、松島さんは改めて支援団体へ様子を聞きに赴きます。そこで同団体の職員から、感謝の気持ちとともに伝えられたある言葉が、松島さんにおてらおやつクラブの活動に乗り出すきっかけを与えました。
「お母さんたちも喜んでくれてるし、お寺のおそなえって珍しいおやつもたくさんあるので、子どもたちもめちゃくちゃ喜んでますと言われて。そういう話を聞けたんで気分よくなってたんですけど、それだけで終わらなかったんですよ。
『松島さん、これ、全然足らないです』って支援団体さんがおっしゃって。もっともっと、自分たちと繋がりがあって、サポートしないといけない家庭が何百とあると。
今のおやつの量では全然足りなくて、何とかできませんかねっていう話があって。けどもう、自分のお寺だけでは精一杯ですから。ちょっと悩んだんですけど、よくよく考えてみたら全国にお寺はいっぱいあるし、他のお寺さんに声をかけていけばご期待に応えられるんじゃないかなと、ハッとさせられたんですよね」
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