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啓林堂書店#01

「継がない」から一転。奈良の本屋・啓林堂書店3代目が事業を継ぐ決意をした理由

IDEA
2023.04.03
個人店や地域の一番店の明かりが、インターネットや大手チェーンの台頭に伴い、消え始めるようになってしばらくが経ちます。街の色が褪せてゆくことに一抹の寂しさは覚えるものの、生活者としての利便性を追求すると選択するには至らない。そうやって、見える景色と自分が手にするもののバランスに、靄のかかった想いを抱える人も多いのではないでしょうか。

地域のお店がなくなっていく流れは、書店業界にも。出版不況と言われて久しいですが、それ以上に深刻なのがリアル書店の減少です。1999年に約2万2000軒あった書店は、2020年には約1万1000件と約22年間で半減(※)。読書人口が同幅では下がっていないところを見ると、この業界でもまた、便利さが支持されていることが分かります。

対象商品の特性から、特にインターネットでの購入が支持される書店業界。大手チェーンも数を減らすなか、地域書店には今後ますます厳しい戦いが予想されるでしょう。

そんな書店業界において、「街の本屋」の在り方自体を変える試みに取り組む、一つの企業が奈良県にありました。2022年の冬に3代目の林田幸一さんが社長に就任し、「すべてのブックライフに寄り添う」と、新たなミッションを掲げる啓林堂書店です。

「本を買う場所」に留まらない本屋の在り方を提案したいとの想いを込めたこのミッション。そこに至るまでの道のりや、地域の本屋のこれからを、代表の林田さんに伺いました。

出版科学研究所の公表資料より
啓林堂書店
奈良に5店舗を展開する地域密着型の書店。一般書から専門書まで、各店舗ごとに地元のお客様に寄り添う選書を展開している。

ひらき、あつまる、啓林堂

「どうぞ、入ってください。今日は寒いですね」。

珍しく奈良市内に雪がちらついた冬の日の朝。啓林堂書店の本社を訪れると、そう穏やかに笑い出迎えてくださったのは3代目の林田幸一さん。温かいお茶を頂きながら取材に入ると、奈良で長年愛される地域書店の若き代表は、一つひとつ丁寧に言葉を選びながら、その想いを語り始めてくれました。
奈良市内に5店舗を展開する啓林堂書店が現在の商いをはじめたのは1974年のこと。もともと国家公務員をされていた林田さんの祖父・至啓(よしひろ)さんが「形のある事業をしたい」と始めたのが本屋でした。

おじい様は林田さんが幼い頃に亡くなったため、数ある事業の中で本屋を選択した理由は聞けずに別れたものの、事業を始める前から絵画や美術品を集めたり読書を好んだりと、文化的な活動に人一倍興味のある方だったそう。

そんな初代が「啓林堂」の名に込めた「ひらき、集まる場」との精神は、今でも同社で大切に受け継がれています。

啓林堂の啓は「ひらく」という意味を持ち、林は「集まる」を指す。創業当初からある同名の自社ビルに、当時からレコードショップや語学を学ぶ教室など、カルチャースペースも備えていたとのエピソードからも、本屋だけに留まらないその姿勢が見られます。

その後林田さんのお父様が2代目を継ぎ、30代前半にして3代目となった林田さん。10代の頃こそ「継ぐつもりは全然なかった」ものの、大学生と大学院生時代に起きた2つのタイミングをきっかけに、家業を継ぐ決意をしたのでした。

「ありがとう」を大切にする人生を過ごしたい

奈良の高校を卒業後、京都大学薬学部へ進学した林田さん。この頃はまだ家業を継ぐつもりなど毛頭なく、薬学部へ進学したのは「人間を知りたい」という興味からでした。多感な時期の人間関係で悩みも絶えなかった高校時代、脳科学を研究する教授の書籍やテレビ出演を目にしたことで、人体の理解から人間の難しさを解明することに興味を覚えたと振り返ります。

医学部ではなく薬学部を選んだのは卒業の進路選択幅から。今でこそ医学部卒の起業家も出てきたものの、当時は医者になるキャリアしか想像できず、もう少し選択幅の広いキャリアをと考え、選んだのが薬学部でした。

大学では薬品物理学を学び、研究にも楽しさを覚えていたといいますが、就職活動を控えた大学3年生の頃に起きた東日本大震災が、林田さんのその後のキャリアに大きな影響を与えます。

「すごい天変地異が起きている状況で、自分の人生をリセットされる可能性もあるんやって思ったんですね。当時はこの後も研究を続けていこうと考えてたんですけど、研究って莫大な予算が必要で、お金と設備がないとできないんです。

そんななかで突然世の中に放り出されて、研究しかできることがなかったら、もうその先何もできなくなってしまいそうやなって不安がよぎりました。それで、研究者の道へ進むんじゃなくて、事業をつくれるようになったほうが僕の人生は幸せやなと思い始めて」

大学院へ進むことは既に決めていたため進学こそしたものの、少しずつ自身の選ぶ未来について、これまでとは異なる選択肢を思い浮かべ始めた林田さん。その後、修士1年生の時に起きたもう一つのできごとが、さらにその思いを加速させることとなります。

「父親が階段から落ちてケガしたんです。僕、たまたまそのとき一人暮らし先から実家に帰ってるタイミングで、発見も僕がして。今は元気になりましたけど、発見したときはもう全然動かないんですね。そのときに、『自分は今、この人が何を持っていて、これまで何をしてきて、その周りにどんな人がいて、っていうことが全然わからへん。それを今すぐ自分の力で何とかできるような感覚も自信もない』と思ったんですよ」
創業当時の啓林堂書店(写真提供:啓林堂書店)
そんなお父様の事故を経て、林田さんが改めて向き合ったのは自分の生き方についてだったと続けます。

「父の事故に立ち会う前から、『このままやったら(自分の人生)あかんな』って、悶々としてました。年を重ねて人生を振り返ったときに、どんなことを達成できてたら自分は幸せなんかなって悩んだりして。

プライドが満たされたとか、めちゃくちゃお金持ちになったとかは、達成できなかったとしても後悔はしないなと。そうじゃなくて、家族とかすごく親しい人とかに『ありがとう』って言われる人生が、自分にとって幸せなんじゃないかと思ってたんです。そんななかで父の事故に立ち会い、家業を意識するようになったんだと思います」

進路を決める時期に重なった2つのできごと。それらを機に、林田さんはこの先の長い人生について再び悩み、「まずは自分の手で家業を良い形にしたい」との決意に至ったのでした。

人間心理と商売の交差点を学んだ後、1000本ノックへ

家業を継ぐ決心をしたものの、すぐには奈良へ戻らず、林田さんが選んだのは経営者としての自分を育てる会社員期間。大学院の修士課程を修了した後に新卒で入社したのは、料理レシピサービスを運営するクックパッド株式会社でした。その背景には、人生を導く本との出会いがあったそうです。
NAKAGAWA’s eye
家業を継ぐ決心をしてもすぐに戻らず、経営者になるためにどういうキャリアを歩むべきかをきちんと自分で考え実行に移していることが素晴らしいです。なかなかこういう風にはならない、林田さんの戦略的思考が感じられます。
ちなみに私は何も考えず法学部を選び、富士通もそこが最初に内定をくれたから、実家に戻ったときも何の見通しもなかったです。笑
「ダニエル・カーネマンさんが書かれた『ファスト&スロー』っていう行動経済学の本があって、その本を読んだときに衝撃を受けたんですよね。物語系以外の本で、人生で初めて超面白いと思って夢中になって読みました。

その本からは色んなことを学びましたけど、一番心に残ったのは『商売をするにしても、人間心理の理解って重要やな』って思いです。経済活動のなかで人間心理と商売が結びつくことを目の当たりにしたというか。

当時の課題意識に『事業をちゃんとつくれるようになりたい』って思いがあって、その点、クックパッドは人間理解と事業づくりの交差点で、一番解像度高くできそうな会社やなと。それで入社しました」

実は就職を決める前から同社でインターンをしていた林田さん。そこで目にしたのは、各社員はもちろん、名だたる大手企業やコンサルティング企業出身の役員まで、全員が「ユーザーファースト」を起点に事業に取り組む姿勢でした。

サービス利用者の家庭へ赴き、料理の困りごとや台所の導線を調査し、それをサービス開発に活かす。そんな風に徹底的にユーザーを知り、役に立つサービスを検討する姿勢が、自身が関心を寄せる「人間心理と事業づくり」を体現しているように思えたのだといいます。

入社後は「何屋さんと言えるのか今でもわからない」と笑いながら話す通り、ディレクターから事業開発、果てはサービス提案のためにコードをかくこともあったといい、幅広く業務を担当。

そうして3年ほど経った頃、会社が大きな転換期を迎えたことを機に、2社目の株式会社リクルートコミュニケーションズ(現・株式会社リクルート)へ転職しました。

「会社が大きく変化するタイミングがたまたまあって、自分も改めて今後、何をしたいか考えたんですよね。今すぐ奈良に帰って事業を継ぐとしたら何が不安かっていえば、稼ぎ方がわからへんなと。20代で奈良に戻ることは決めていたんで、事業を成功させるのが上手そうな会社に行って、1000本ノックみたいなことをしたいなって思ったんですよ」

入社後、リクルートでは社内向けのコンサルティングやソリューション開発を行う部署に身を置き、組織の体制変更を実現する体制設計を提案したり、海外マーケティング投資戦略の検討をしたりと、時に外部のコンサルティング会社とも協働しながら事業課題の解決に従事。そうして一つの大きなプロジェクトが終わった29歳の頃、林田さんはついに、奈良に戻ることを決意します。

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文・写真:谷尻純子

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