doors yamazoe#01
「場を持つ意味とは?」doors yamazoe運営のデザイナー・長光宏輔さんが、奈良県山添村でお店を開くまで
IDEA
2022.06.15
奈良市の中心部から車で30分ほど。人口3500人の山添村に、週末限定でオープンするギャラリーショップ兼コーヒースタンド「doors yamazoe」はあります。旧自動車整備工場を改装して創り上げた店舗は、シンプルでソリッドな印象。可変性を持たせたドアを動かせば自由自在に空間を創り出せ、インスタレーションや展示会などのイベントごとにその姿を変えていくのも特徴です。
この場を運営するのはデザイナーの長光宏輔(ながみつ・こうすけ)さん。同施設の2階に構えるご自身のデザインオフィス・INtoOUT&Co.(イントゥアウト)では、奈良県内の案件を中心にグラフィックやWEB、プロダクトなどのデザインを幅広く手がけられています。
その丁寧な仕事が口コミで広がり、デザイン業務だけでも十分に暮らしていけたにも拘わらず、長光さんはなぜ、デザイナーの肩書に加えてdoors yamazoeを開業したのか。この場を開いたきっかけには、「いいデザイン」と「求められるデザイン」の間(はざま)で生じるクリエイターとしての苦悩がありました。
doors yamazoeを開いたことにより、これまでになかった人との出会いや仕事との縁が生まれたと話す長光さん。そんな長光さんにキャリアやご自身のターニングポイントとともに、「場」を持つことの意味を伺ってきました。
この記事は前中後編の前編です。
この場を運営するのはデザイナーの長光宏輔(ながみつ・こうすけ)さん。同施設の2階に構えるご自身のデザインオフィス・INtoOUT&Co.(イントゥアウト)では、奈良県内の案件を中心にグラフィックやWEB、プロダクトなどのデザインを幅広く手がけられています。
その丁寧な仕事が口コミで広がり、デザイン業務だけでも十分に暮らしていけたにも拘わらず、長光さんはなぜ、デザイナーの肩書に加えてdoors yamazoeを開業したのか。この場を開いたきっかけには、「いいデザイン」と「求められるデザイン」の間(はざま)で生じるクリエイターとしての苦悩がありました。
doors yamazoeを開いたことにより、これまでになかった人との出会いや仕事との縁が生まれたと話す長光さん。そんな長光さんにキャリアやご自身のターニングポイントとともに、「場」を持つことの意味を伺ってきました。
この記事は前中後編の前編です。
doors yamazoe
デザインオフィス・INtoOUT&Co.が営むギャラリーショップ、コーヒースタンド。
1杯ずつハンドドリップで提供する2種のオリジナルコーヒーと焼き菓子をカフェスペースで提供する他、ショップスペースにはシンプルな中にこだわりの詰まった、全て手作業で製作された洋服やバッグ、スペインの工房で職人の手によって美しく仕立てられた革靴など、機能美に溢れながら暮らしを豊かに彩る品々を取り揃えている。
1杯ずつハンドドリップで提供する2種のオリジナルコーヒーと焼き菓子をカフェスペースで提供する他、ショップスペースにはシンプルな中にこだわりの詰まった、全て手作業で製作された洋服やバッグ、スペインの工房で職人の手によって美しく仕立てられた革靴など、機能美に溢れながら暮らしを豊かに彩る品々を取り揃えている。
農村とデザインが緩やかに交じり合う「doors yamazoe」
春には桜が咲き、初夏になると蛙の声が聞こえてくる。雨が降れば山あいの緑が濃くなり、窓を抜ける風にはかすかに土のにおいを感じる。そんな、豊かな山林に囲まれた奈良県山添村にdoors yamazoeがオープンしたのは2020年のことです。
旧自動車整備工場をリノベーションした店舗の1階は週末だけオープンするギャラリーショップ兼コーヒースタンド。お店を開いて間もなく、そのゆったりと流れる空気を求めて村外からも多くの人が訪れる人気店となりました。
doors yamazoeが提案する空間の中で木々や集落の風景を切り取る窓とともに印象的なのは、外にも内にも多数取り付けられている大きな扉。「入口と出口」であるとともに、「中と外」や「人と物」「過去と未来」「農村とデザイン」が扉を介して緩やかに交じり合う、そんな意味を込めてつくったのだといいます。
旧自動車整備工場をリノベーションした店舗の1階は週末だけオープンするギャラリーショップ兼コーヒースタンド。お店を開いて間もなく、そのゆったりと流れる空気を求めて村外からも多くの人が訪れる人気店となりました。
doors yamazoeが提案する空間の中で木々や集落の風景を切り取る窓とともに印象的なのは、外にも内にも多数取り付けられている大きな扉。「入口と出口」であるとともに、「中と外」や「人と物」「過去と未来」「農村とデザイン」が扉を介して緩やかに交じり合う、そんな意味を込めてつくったのだといいます。
2021年には「日本空間デザイン賞2021」のベスト100にも選ばれたdoors yamazoeを運営するのは、奈良県でデザイナーとして活動する長光宏輔さん。ショップスペースに置かれた国内外のプロダクトも、長光さんがその審美眼を持って選んだものです。
奈良県出身、大学卒業後は大阪や東京でデザインの仕事をされていた長光さんが奈良に戻ったのは、34歳頃のこと。その後、36歳で同施設の2階にご自身のデザインオフィス「INtoOUT&Co.」を起ち上げられました。
奈良県出身、大学卒業後は大阪や東京でデザインの仕事をされていた長光さんが奈良に戻ったのは、34歳頃のこと。その後、36歳で同施設の2階にご自身のデザインオフィス「INtoOUT&Co.」を起ち上げられました。
「お客様とどんな関係を築いていきたいかなと考えたときに、川上から川下まで一緒に伴走して、寄り添って進めていく形だと思って。一部分だけデザインして『はい、納品』じゃなくて、仕事が終わると友人関係になってるみたいな、そのくらいの深い関係性で仕事をしていきたいと思ったんですよね。
それで、自分とお客様とが一緒にインプットしたりアウトプットしたり、インサイド・アウトサイドを行き来して良いものを創っていきたいと考えて今の社名になりました」
長光さんは穏やかな口調でご自身のこれまでを振り返ります。
それで、自分とお客様とが一緒にインプットしたりアウトプットしたり、インサイド・アウトサイドを行き来して良いものを創っていきたいと考えて今の社名になりました」
長光さんは穏やかな口調でご自身のこれまでを振り返ります。
NAKAGAWA’s eye
NAKAGAWA’s eye
「川上から川下まで」「一緒にインプットしたりアウトプットしたり」という長光さんの言葉からも理想とするクライアントとの関係性が垣間見えます。
「今」だけを切り取ったコミュニケーションが限界を迎え、これまでのストーリーはもちろんさらには「未来への目線」までもがブランドや企業に問われる時代に、あるべきデザイナーとクライアントの関係性だと思います。
「川上から川下まで」「一緒にインプットしたりアウトプットしたり」という長光さんの言葉からも理想とするクライアントとの関係性が垣間見えます。
「今」だけを切り取ったコミュニケーションが限界を迎え、これまでのストーリーはもちろんさらには「未来への目線」までもがブランドや企業に問われる時代に、あるべきデザイナーとクライアントの関係性だと思います。
デザイナーとして東京で勤務するも、小さな違和感を感じ始める
長光さんがデザイン周辺のものごとに興味を持ったきっかけは中学3年生の頃。進学先の高校を検討するなかで、先生から選択肢として提案されたのが美術科のある高校でした。もともと美術の成績が良かったわけではなかったけれど、絵を描くのが好きだった長光少年は、その高校の受験を決めデッサンの練習に励むようになります。
「ただ僕、夏休みに写生の宿題が出てもギリギリまでやらなくて、友達が描いた風景画を借りてそれを写すような不真面目な奴やったんですよ(笑)。母親はそのイメージが強いから当然めっちゃ反対しますよね。今となっては心配してくれたんやってわかるんですけど、当時は『なにくそ』って、逆にそこで奮起して。そのおかげで受かりましたね」
そうして無事に合格し希望の進路へ進んだ後は、油絵や日本画、彫刻、デザインなど美術に関する一通りを学び、3年生では油画(ゆが)コースを選択。当時は油絵画家になりたいと考えていたそうです。
しかし大学受験にあたり、ふとよぎったのは「画家で食べていくのは現実的に厳しいかも」という考え。油画を学べる大学を多数受験するなか、そんな思いから唯一受けたのが神戸芸術工科大学のプロダクトデザイン専攻コースでした。複数の大学に受かり他の選択肢も手にしたものの、長光さんは迷った末に商業デザインを学べるその道へ進学を決めます。
「ただ僕、夏休みに写生の宿題が出てもギリギリまでやらなくて、友達が描いた風景画を借りてそれを写すような不真面目な奴やったんですよ(笑)。母親はそのイメージが強いから当然めっちゃ反対しますよね。今となっては心配してくれたんやってわかるんですけど、当時は『なにくそ』って、逆にそこで奮起して。そのおかげで受かりましたね」
そうして無事に合格し希望の進路へ進んだ後は、油絵や日本画、彫刻、デザインなど美術に関する一通りを学び、3年生では油画(ゆが)コースを選択。当時は油絵画家になりたいと考えていたそうです。
しかし大学受験にあたり、ふとよぎったのは「画家で食べていくのは現実的に厳しいかも」という考え。油画を学べる大学を多数受験するなか、そんな思いから唯一受けたのが神戸芸術工科大学のプロダクトデザイン専攻コースでした。複数の大学に受かり他の選択肢も手にしたものの、長光さんは迷った末に商業デザインを学べるその道へ進学を決めます。
大学卒業後はグラフィックデザイナーとして大阪のデザイン事務所へ就職。その後、東京への憧れもあり上京費用を貯めるためにアルバイトをしたり、仲間と音楽活動に励んだりを経て、都内の広告代理店に入社しました。2社目の企業では今でも師と仰ぐ上司と出会い、大手企業の広告案件にも携わるなど充実した日々を過ごすものの、少しずつ長光さんが心に抱える"違和感のコップ"に水が溜まり始めたといいます。
「死生観」を大きく変えた2つのできごと
そもそも“違和感のコップ”を抱えた背景には、死生観を大きく変えた2つのできごとがあったそう。一つめは、15歳のときに起きた阪神淡路大震災でした。当時長光さんは奈良県に暮らしていたため直接の被害はそれほど大きくありませんでしたが、テレビ越しに見るのはそれまでの当たり前が全て崩れた風景。ハウスメーカーに勤めていたお父様が現地へ赴き、被害地域の周辺に住むお客さんから聞いた被害の様子なども、当時の長光さんに大きな衝撃を与えたといいます。
またもう一つは、長光さんが大学生のときに起きたお兄様の事故。スノーボードに出かけたお兄様が事故で頭を打ち、生死をさまようほどのケガを負ってしまったのです。数週間にわたる治療の結果、一命は取り留めましたが、事故の後遺症でお兄様は今も重い障害を抱えています。
「震災とか兄ちゃんの事故とかで、『明日って何が起きるかわからんのやな』って。そんな気付きから、例えば去年の今日何してた? て聞かれたときに、『これやってた』って言える毎日にしなあかんなと当時はすごく思いましたね」
「今日過ごした何気ない時間が、明日も当たり前にくるものではない」。2つの出来事を経て長光さんの心にはそんな想いが刻まれたのです。
またもう一つは、長光さんが大学生のときに起きたお兄様の事故。スノーボードに出かけたお兄様が事故で頭を打ち、生死をさまようほどのケガを負ってしまったのです。数週間にわたる治療の結果、一命は取り留めましたが、事故の後遺症でお兄様は今も重い障害を抱えています。
「震災とか兄ちゃんの事故とかで、『明日って何が起きるかわからんのやな』って。そんな気付きから、例えば去年の今日何してた? て聞かれたときに、『これやってた』って言える毎日にしなあかんなと当時はすごく思いましたね」
「今日過ごした何気ない時間が、明日も当たり前にくるものではない」。2つの出来事を経て長光さんの心にはそんな想いが刻まれたのです。
東日本大震災をきっかけにUターンを決意
そうは言えども、毎日を過ごすうちに日常の小さな違和感にも目を瞑ってしまう日々に戻っていた34歳の頃、奈良へ戻る大きなきっかけとなる出来事が起きました。2011年3月11日。日本中が悲しみに渦巻いた東日本大震災です。
当時東京に住んでいた長光さんは、少しでも支援したいと自宅にあったペットボトルの水を寄付するなど、行動を模索。一方周りに目をやると、コンビニやスーパーで必要以上に物資を購入している人を目にするなど「人の嫌な部分が表面化している」と感じたそうです。
「仕方ないことだとは思うんですけど、僕は自分で独り占めするんじゃなくて皆で分けたいなって。3.11はきっかけなだけで、そもそもは東京ってちょっと生きにくいなっていう違和感があったんです。でも自分も、例えば駅で目の前の人がふと立ち止まって道を探してる時に、道がつっかえてちょっとイラッとしてしまったりで。自分も東京に来たてのときは同じように道を探してたのに、いつの間にかそうなってしまってたんですよね。それが当たり前になってきてる自分にも嫌になるというか」
当時東京に住んでいた長光さんは、少しでも支援したいと自宅にあったペットボトルの水を寄付するなど、行動を模索。一方周りに目をやると、コンビニやスーパーで必要以上に物資を購入している人を目にするなど「人の嫌な部分が表面化している」と感じたそうです。
「仕方ないことだとは思うんですけど、僕は自分で独り占めするんじゃなくて皆で分けたいなって。3.11はきっかけなだけで、そもそもは東京ってちょっと生きにくいなっていう違和感があったんです。でも自分も、例えば駅で目の前の人がふと立ち止まって道を探してる時に、道がつっかえてちょっとイラッとしてしまったりで。自分も東京に来たてのときは同じように道を探してたのに、いつの間にかそうなってしまってたんですよね。それが当たり前になってきてる自分にも嫌になるというか」
そんな時に長光さんがふと思い出したのは、お兄様が退院後通われていたリハビリセンターの光景でした。身体の機能を回復させるため未来に向かってリハビリに取り組む人たちを目の前にし、当時の長光さんは圧倒されたといいます。「自分は五体満足に暮らしているのに、何かを頑張れているのか」。そんな想いが心にじわじわと広がりはじめました。
見ないふりをしていたモヤモヤの積み重なりと、震災を機に強烈に感じた違和感。そうして長光さんのコップから、ついに水が溢れたのです。
「震災のときに、奈良にいる両親とか会いたい人にすぐに会えない状況にいるんやって思いました。その積み重ねが奈良に帰ってくる大きな理由ですね。『俺、ここで骨を埋めて死にたくないな』って。それやったら故郷でできることをしようって決めたんです」
見ないふりをしていたモヤモヤの積み重なりと、震災を機に強烈に感じた違和感。そうして長光さんのコップから、ついに水が溢れたのです。
「震災のときに、奈良にいる両親とか会いたい人にすぐに会えない状況にいるんやって思いました。その積み重ねが奈良に帰ってくる大きな理由ですね。『俺、ここで骨を埋めて死にたくないな』って。それやったら故郷でできることをしようって決めたんです」
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