チロル堂#01
地域の大人が自然に子どもを支援。「まほうのだがしや チロル堂」に仕掛けられた魔法のデザイン
IDEA
2022.12.19
5,835通。この数字は、2022年度グッドデザイン賞の応募数です。
生活雑貨からビジネスモデルまで、想いの詰まったデザインが全国から集うこの賞で、2022年度の大賞を受賞したのは、奈良県生駒市にある小さなちいさな駄菓子屋「チロル堂」。
一見何の変哲もないお店に思えますが、しかしその場は「まほうのだがしや」をコンセプトに、孤独や貧困の環境にある子どもの支援を自然にデザインした空間です。
2021年8月にオープンした後たちまちに地域の人が集う場となり、全国からも取り組みを真似たいと声がかかるようになったチロル堂。そんなチロル堂の“魔法”をデザインしたのは、街に関わる3人の大人たちでした。
今回の記事ではその3人のなかでも、アイデアの発案者となった吉田田タカシさん、通称ダダさんにお話を伺いました。
芸術運動の「ダダイズム」にちなんで自らを「吉田田」と名乗り、現在は生駒市でアートスクール・アトリエe.f.t.を主宰する他、バンドのボーカルや大学での講師など幅広く活動されるダダさんが、デザインやアートに興味を持ったのは高校生の頃のこと。
そこから今に至るまで、世の中の違和感にクリエイティブで問いを投げかけ、また自身が主宰する数々のワークショップやアート活動ではマイノリティもマジョリティも関係なく、それぞれの瑞々しい個性をそのままに引き出してきました。
そんなダダさんが、チロル堂をつくり上げる際に大切にしたデザインとはー。
この記事は前中後編の前編です。
生活雑貨からビジネスモデルまで、想いの詰まったデザインが全国から集うこの賞で、2022年度の大賞を受賞したのは、奈良県生駒市にある小さなちいさな駄菓子屋「チロル堂」。
一見何の変哲もないお店に思えますが、しかしその場は「まほうのだがしや」をコンセプトに、孤独や貧困の環境にある子どもの支援を自然にデザインした空間です。
2021年8月にオープンした後たちまちに地域の人が集う場となり、全国からも取り組みを真似たいと声がかかるようになったチロル堂。そんなチロル堂の“魔法”をデザインしたのは、街に関わる3人の大人たちでした。
今回の記事ではその3人のなかでも、アイデアの発案者となった吉田田タカシさん、通称ダダさんにお話を伺いました。
芸術運動の「ダダイズム」にちなんで自らを「吉田田」と名乗り、現在は生駒市でアートスクール・アトリエe.f.t.を主宰する他、バンドのボーカルや大学での講師など幅広く活動されるダダさんが、デザインやアートに興味を持ったのは高校生の頃のこと。
そこから今に至るまで、世の中の違和感にクリエイティブで問いを投げかけ、また自身が主宰する数々のワークショップやアート活動ではマイノリティもマジョリティも関係なく、それぞれの瑞々しい個性をそのままに引き出してきました。
そんなダダさんが、チロル堂をつくり上げる際に大切にしたデザインとはー。
この記事は前中後編の前編です。
まほうのだがしや チロル堂
貧困や孤独の環境にある子ども達を地域みんなで支える取り組みとして、2021年8月に奈良県生駒市にオープン。入口には子どもだけが回せるガチャガチャが置かれ、100円を入れると店内通貨の「チロル札」が1枚~3枚手に入る。子どもはチロル札1枚で通常500円のカレーなどが食べられるといった、通貨の価値を変える魔法が大人の寄付により仕掛けられており、支援が必要な子どもにアプローチする機会と、大人が日常生活の延長で寄附をする機会の増加を同時に実現した。2022年度グッドデザイン大賞受賞。
生駒市の小さな駄菓子屋が、2022年度グッドデザイン大賞に
生駒駅南口前の県道を1本入り、1分ほど歩くと見えてくる、明るい黄色と通貨のようなロゴが印象的なのれん。「チロル堂」と書かれたそれを背をかがめてくぐり、ドアをあけると、そこに広がるのは大人3人も入れば満員となる小さな駄菓子屋スペースと、奥に細長いカウンター席。その先には3〜4人用の座卓が2つといった、どこか懐かしく、しかしこれまでには見たことのない景色です。
駄菓子屋スペースから段差を超えて、小上がりのカウンター席へ腰掛ければ、美味しそうなスパイスカレーやドリンクの注文も可能。昼間は近くに暮らす大人がお茶をしに来たり、子どもたちが宿題やゲームをしたり。夜にはその日限定の酒場やレストランに変わることもあるそうです。
もともとはスナックだったというこの場所が「まほうのだがしや チロル堂」として生まれ変わったのは、2021年8月のこと。ここではそのコンセプトの通り、毎日お店で「魔法」がかけられます。ただし、魔法にかけてもらえるのは18歳以下の子どもたち限定。それ以外の条件はありません。
魔法にかけられる手順は次の通り。
お店に入ってすぐの場所に置かれたガチャガチャを、1日1回、100円を入れて回します。出てくるカプセルの中には、店内通貨である「チロル札」が1枚から3枚入っており、1チロルを100円分の価値として駄菓子を買うこともできれば、本来は500円するカレーをなんと1チロルで食べることも可能。
100円がチロル札3枚に化けたり、500円のカレーに化けたりする。これこそがチロル堂の"魔法"なのです。
もともとはスナックだったというこの場所が「まほうのだがしや チロル堂」として生まれ変わったのは、2021年8月のこと。ここではそのコンセプトの通り、毎日お店で「魔法」がかけられます。ただし、魔法にかけてもらえるのは18歳以下の子どもたち限定。それ以外の条件はありません。
魔法にかけられる手順は次の通り。
お店に入ってすぐの場所に置かれたガチャガチャを、1日1回、100円を入れて回します。出てくるカプセルの中には、店内通貨である「チロル札」が1枚から3枚入っており、1チロルを100円分の価値として駄菓子を買うこともできれば、本来は500円するカレーをなんと1チロルで食べることも可能。
100円がチロル札3枚に化けたり、500円のカレーに化けたりする。これこそがチロル堂の"魔法"なのです。
何とも不思議なこの魔法は、実は大人の寄付によって実現されるもの。大人が店内で買い物したり飲食したり、また直接寄付したお金が、魔法の資金源として使用されるというわけです。
オープンして間もないチロル堂ですが、2022年11月に発表された2022年度グッドデザイン賞では、なんと大賞を受賞。応募総数5,835通ともなる全国のあらゆる「デザイン」から、この奈良の小さな駄菓子屋がトップに輝きました。
オープンして間もないチロル堂ですが、2022年11月に発表された2022年度グッドデザイン賞では、なんと大賞を受賞。応募総数5,835通ともなる全国のあらゆる「デザイン」から、この奈良の小さな駄菓子屋がトップに輝きました。
NAKAGAWA’s eye
2018年の「おてらおやつクラブ」に続く快挙! この5年で奈良の小さな取り組みが大賞を2度も受賞したことが、いち奈良県民として誇らしいです!
「誰もが来店しやすい『駄菓子屋』として場を開くことで、孤独や貧困に悩む子ども達の利用を促していること」
「1枚100円の価値がある店内通貨『チロル札』1枚で、子ども達は通常500円のカレー等が食べられること」
「『魔法』の仕掛けである『寄付』を、飲食や買い物に付随させ日常の延長でのサポートができること」
(以上、グッドデザイン賞応募時の内容より)
これら3つを"デザイン"として仕掛けたのは、生駒市に縁のある3人の大人でした。
1人目はこの取り組みのきっかけをつくった、生駒市で複数の福祉事業所を営む一般社団法人無限の石田慶子さん。2人目は東吉野村でクリエイティブファーム・合同会社オフィスキャンプの代表をしながら生駒市の案件も多数手がける坂本大祐さん。そして3人目は、生駒市でアートスクール・アトリエe.f.t.を主宰する吉田田タカシさん(通称:ダダさん)。
このチロル堂にかけられた"魔法"は、その3人のなかでもダダさんが10代の頃から感じていた、マイノリティが生きにくい社会への違和感が一つの問いとなって発案されたものでした。
「1枚100円の価値がある店内通貨『チロル札』1枚で、子ども達は通常500円のカレー等が食べられること」
「『魔法』の仕掛けである『寄付』を、飲食や買い物に付随させ日常の延長でのサポートができること」
(以上、グッドデザイン賞応募時の内容より)
これら3つを"デザイン"として仕掛けたのは、生駒市に縁のある3人の大人でした。
1人目はこの取り組みのきっかけをつくった、生駒市で複数の福祉事業所を営む一般社団法人無限の石田慶子さん。2人目は東吉野村でクリエイティブファーム・合同会社オフィスキャンプの代表をしながら生駒市の案件も多数手がける坂本大祐さん。そして3人目は、生駒市でアートスクール・アトリエe.f.t.を主宰する吉田田タカシさん(通称:ダダさん)。
このチロル堂にかけられた"魔法"は、その3人のなかでもダダさんが10代の頃から感じていた、マイノリティが生きにくい社会への違和感が一つの問いとなって発案されたものでした。
写真左端が石田さん、中央がダダさん、右から2人目が坂本さん(提供:ダダさん)
学校の“当たり前”に違和感を持っていた高校生時代
チロル堂発起人の一人であるダダさんは、大阪芸術大学を卒業後、デザインやアート、音楽を仕事の軸に様々な肩書を持って活動。あるときはアートスクール・アトリエe.f.t.の代表であり、あるときはスカロックバンド・DOBERMANのボーカルを務め、またあるときはクリエイティブディレクターとして大学で教鞭をとる。そんな多方面で活躍するダダさんが、クリエイティブの道に興味を持ったのは高校生のときでした。
もともと学校の“当たり前”に馴染めず、息苦しさを感じていたダダさん。その怒りや苦しさを解消する場となっていたのは部活動のサッカーだったそうです。しかし練習に励むも膝や腰を痛めてしまい、医師から告げられたのはサッカーからの卒業勧告。一時期は絶望的な気持ちを味わいました。
学校生活で、気持ちの逃がしどころであったサッカーができない。
辛い現実ではありましたが、しかし吉田少年は窮屈さからの解放を諦めず、かねてより興味を持っていたクリエイティブの道を模索し始めます。
「『勉強が自分の将来と関係してる気がしない』って小学校の頃からずっと思ってて。勉強することが自分を豊かにするっていう、理屈というか理由をちゃんと説明してほしいと思ってたんですよ。それで学校が息苦しくてどっかに逃げ道を探してて、サッカーができなくなったのもあって、音楽とかアートに自分の居場所を見つけようとしてたかな」
もともと学校の“当たり前”に馴染めず、息苦しさを感じていたダダさん。その怒りや苦しさを解消する場となっていたのは部活動のサッカーだったそうです。しかし練習に励むも膝や腰を痛めてしまい、医師から告げられたのはサッカーからの卒業勧告。一時期は絶望的な気持ちを味わいました。
学校生活で、気持ちの逃がしどころであったサッカーができない。
辛い現実ではありましたが、しかし吉田少年は窮屈さからの解放を諦めず、かねてより興味を持っていたクリエイティブの道を模索し始めます。
「『勉強が自分の将来と関係してる気がしない』って小学校の頃からずっと思ってて。勉強することが自分を豊かにするっていう、理屈というか理由をちゃんと説明してほしいと思ってたんですよ。それで学校が息苦しくてどっかに逃げ道を探してて、サッカーができなくなったのもあって、音楽とかアートに自分の居場所を見つけようとしてたかな」
あるときは100人で唐揚げを買いに行き、文化祭ではバスケットコートほどの大きさの横断幕に「太陽を描く」と教師に嘘をつき、高校生にはやや刺激的な絵を描きあげる。それは、誰もが同じ基準のなかで評価され続ける学校システムへの、ダダさんなりの問いかけなのでした。
「誰かから勝手に成績で評価されて、『プライドを傷つけられてるな、嫌な思いをしてるな』っていつも思ってたかなぁ。でも、こんな嫌な思いをしてまで学校に通ったり勉強したりするのが、自分にどんな有益なことをもたらしてくれるかっていうと、それに関しては誰も何も教えてくれない。それが納得できなくて、当時はクリエイティブなことがしたいというよりも、それが僕なりの反骨やったんですよ」
「誰かから勝手に成績で評価されて、『プライドを傷つけられてるな、嫌な思いをしてるな』っていつも思ってたかなぁ。でも、こんな嫌な思いをしてまで学校に通ったり勉強したりするのが、自分にどんな有益なことをもたらしてくれるかっていうと、それに関しては誰も何も教えてくれない。それが納得できなくて、当時はクリエイティブなことがしたいというよりも、それが僕なりの反骨やったんですよ」
この反骨心から起こしたアプローチを通じてダダさんが覚えたのは「課題をずらすこと」。勉強はつまらないけれど、だからといって不登校を選ぶのではなく、学校生活を面白くする方法を考え実践し、学んだ期間だったと振り返ります。そしてこの「別の角度から考え課題を解決する」ことは、今に至るまでダダさんの“らしさ”として連綿と続いていくのです。
NAKAGAWA’s eye
人が問題に直面した時の反応は大きく4つに分類されます。
・文句を言う
・我慢する
・回避する
・解決する
若くして問題解決思考に至ったのは、ダダさん曰くの「クリエイティブ」さを生来持ち合わせていたからなのでしょうか。
クリエイティブの本質は狭義のデザインではなく問題解決にあると思います。
そう考えると経営もロジカルだけではなくクリエイティブでないといけません。
・文句を言う
・我慢する
・回避する
・解決する
若くして問題解決思考に至ったのは、ダダさん曰くの「クリエイティブ」さを生来持ち合わせていたからなのでしょうか。
クリエイティブの本質は狭義のデザインではなく問題解決にあると思います。
そう考えると経営もロジカルだけではなくクリエイティブでないといけません。
創造性を育むアートスクール「アトリエe.f.t.」起ち上げ
反骨心を持ちながらアートや写真などの創作活動に励んだ吉田少年は、やがて芸大や美大への進学に興味を持つようになり、大阪芸術大学へ進学。そして21歳のときに、現在まで続く「アトリエe.f.t.」のもととなるスクールを起ち上げました。
そこでは初めこそ、美大や芸大の予備校として受験対策を教えていましたが、次第に創造性を学ぶ場として姿を変えていったといいます。
「最初は自分たちより格上と言われている大学に自分の教えた子が受かるのが快感で。それを大学生がやってるのがおもろいなって思ってたんよね。でも、だんだん『なんか違うぞ』と。僕が音楽とかデザインとかアートから享受したものってこんなんじゃない、受かり方じゃないって思いはじめた。
僕がクリエイティブから享受したのは『自分の尺度で生きていいよ』ってこととか、『答えを自分でつくっていい』みたいな、誰かと同じようにしなくてもいいし、自分で正解をつくっていいんだよってことなのに。
それで、前提条件を疑って自分のやり方で解決していくクリエイティブを教えたいと思って、ワークショップをいっぱい生み出し始めたんですよ。それを僕は『反骨思考』って呼んでます」
そこでは初めこそ、美大や芸大の予備校として受験対策を教えていましたが、次第に創造性を学ぶ場として姿を変えていったといいます。
「最初は自分たちより格上と言われている大学に自分の教えた子が受かるのが快感で。それを大学生がやってるのがおもろいなって思ってたんよね。でも、だんだん『なんか違うぞ』と。僕が音楽とかデザインとかアートから享受したものってこんなんじゃない、受かり方じゃないって思いはじめた。
僕がクリエイティブから享受したのは『自分の尺度で生きていいよ』ってこととか、『答えを自分でつくっていい』みたいな、誰かと同じようにしなくてもいいし、自分で正解をつくっていいんだよってことなのに。
それで、前提条件を疑って自分のやり方で解決していくクリエイティブを教えたいと思って、ワークショップをいっぱい生み出し始めたんですよ。それを僕は『反骨思考』って呼んでます」
そして迎えた卒業の時期。このままアトリエe.f.t.を主宰していくのかと思いきや、ダダさんは一度、一般企業に入社する道を選びます。
しかし、入社後はわずか8か月で退職を選択。新しいものを生み出すよりも、納期を守りクライアントからのオーダーに、正確に対応することを求められたその仕事は、ダダさんにとっては「不得意なもの」だった苦々しい顔で笑います。
「僕、できることとできひんことがめっちゃ激しいんですよ。でも会社員だったときは苦手なことばっかり求められて、それがしんどかった。それまでは世間のサラリーマンを『安定して給料がもらえて誰でもできるやろ』みたいになめてたんですけど、そんな甘い世界なわけないですよね(笑)。みんなほんまにすごい、自分には向いてないなって」
思い詰めて鬱の症状が出てしまったこと、また大学時代から続けていたバンド活動でも、自身の企業勤めが原因となりライブ出演を断らざるを得ない機会が多数あったことなどが重なり、退職を決めたダダさん。少し休んだその後は、改めてアトリエe.f.t.の活動に力を入れてるようになりました。
「アトリエでは『つくるを通して生きるを学ぶ』をコンセプトにずっと掲げてますね。解放されて自分らしく生きていくことを、僕らはものづくりから学べると思ってて。いわゆるデッサンとかの実技ももちろん教えるんだけど、技術を身につけるだけじゃなくて、ワークショップとか作品づくりのプロセスから自分で考えて、自分なりの答えをつくって、そうやって学んでいくのを重視してます。
アートスクールでは自分の手を使ってつくるから、知識の伝達だけじゃなくて感覚も一緒に学べるんですよ。本当に役に立つ学びは定量的に測れたり数値化できたりするものじゃなくて、もっと感覚として蓄積していくものだから、そういう感覚の学びをできる場所をやりたいと思ってる」
しかし、入社後はわずか8か月で退職を選択。新しいものを生み出すよりも、納期を守りクライアントからのオーダーに、正確に対応することを求められたその仕事は、ダダさんにとっては「不得意なもの」だった苦々しい顔で笑います。
「僕、できることとできひんことがめっちゃ激しいんですよ。でも会社員だったときは苦手なことばっかり求められて、それがしんどかった。それまでは世間のサラリーマンを『安定して給料がもらえて誰でもできるやろ』みたいになめてたんですけど、そんな甘い世界なわけないですよね(笑)。みんなほんまにすごい、自分には向いてないなって」
思い詰めて鬱の症状が出てしまったこと、また大学時代から続けていたバンド活動でも、自身の企業勤めが原因となりライブ出演を断らざるを得ない機会が多数あったことなどが重なり、退職を決めたダダさん。少し休んだその後は、改めてアトリエe.f.t.の活動に力を入れてるようになりました。
「アトリエでは『つくるを通して生きるを学ぶ』をコンセプトにずっと掲げてますね。解放されて自分らしく生きていくことを、僕らはものづくりから学べると思ってて。いわゆるデッサンとかの実技ももちろん教えるんだけど、技術を身につけるだけじゃなくて、ワークショップとか作品づくりのプロセスから自分で考えて、自分なりの答えをつくって、そうやって学んでいくのを重視してます。
アートスクールでは自分の手を使ってつくるから、知識の伝達だけじゃなくて感覚も一緒に学べるんですよ。本当に役に立つ学びは定量的に測れたり数値化できたりするものじゃなくて、もっと感覚として蓄積していくものだから、そういう感覚の学びをできる場所をやりたいと思ってる」
NAKAGAWA’s eye
今話題の「神山まるごと高専」の目指すべき人物像も「モノをつくる力で、コトを起こす人」ですね。
今でこそ創造力を学べる場の重要性は広く知られるところとなったものの、当時はそんな看板を掲げるスクールなど全くない時代。小さく始まったアトリエe.f.t.でしたが、しかしその活動は時代の変化とともに多くの人に求められるものとなっていきます。
「暗記教育じゃなくて創造性とか主体性、リーダーシップみたいな非認知力、いわば数値化しにくい力を学ぶことが求められる世の中にだんだん変化してきたじゃないですか。アトリエe.f.t.ではすでに何百とワークショップを開催してきたから、声がかかるようになってきたんよね。だから僕、一生誰にも注目されない事業をやってるつもりやったのに、急に注目され始めたんですよ(笑)」。
「暗記教育じゃなくて創造性とか主体性、リーダーシップみたいな非認知力、いわば数値化しにくい力を学ぶことが求められる世の中にだんだん変化してきたじゃないですか。アトリエe.f.t.ではすでに何百とワークショップを開催してきたから、声がかかるようになってきたんよね。だから僕、一生誰にも注目されない事業をやってるつもりやったのに、急に注目され始めたんですよ(笑)」。
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文:谷尻純子、写真:奥山晴日
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