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オフィスキャンプ#01

地方クリエイターの先駆け・オフィスキャンプの坂本大祐さんに聞く。地方移住の経緯とは

IDEA
2021.03.23
働き方や働く場所に対する世の中の考え方が、大きく変化しはじめている昨今。これまでのような大都市一極集中型の暮らしを見直し、「地方で働く」ことを改めて意識している方も多いかもしれません。

しかし地方で暮らすにあたり、「生活環境は?」「仕事はあるの?」などの不安が生じることもまた現実でしょう。

奈良県吉野郡東吉野村に住みながら、デザイナーとして活動する坂本大祐(さかもと・だいすけ)さんは、2006年に31歳でこの地に移住。2015年にコワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」を立ち上げた後、2016年にこの施設を拠点とするクリエイティブファーム・合同会社オフィスキャンプを設立しました。

以来、“地方在住クリエイター”として、東吉野村を含む奥大和エリアをはじめとした奈良県内のクリエイティブに多く携わっている坂本さん。

地方に移住するきっかけや、地方でクリエイターとして働く面白さ・難しさ、地方の事業者への向き合い方など、地方在住クリエイターの先輩である坂本さんに、これからのヒントになるようなお話を伺いました。本記事は前・中・後編でお届けするなかの、前編です。
合同会社オフィスキャンプ・坂本大祐
奈良県東吉野村に拠点を置くクリエイティブファーム。デザイナーや編集者、カメラマンなどのクリエイターを含む20名ほどのメンバーが所属し、各自がそれぞれにクリエイティブ業務に勤しむ。坂本さんはデザイナーとして活動しつつ、同企業の代表を務める。

ローカルコワーキングスペースの先駆け「オフィスキャンプ東吉野」

人口1700人の村、奈良県東吉野村。奈良市内から車で1時間半ほどのその地には、余計な雑音は一切なく、さらさらと流れる清流のせせらぎや遠くで低く鳴るバイクのエンジン音、住民が軽やかに井戸端会議をする声など、すがすがしい生活音だけが聞こえてきます。

視界を遮るようないわゆる広告物はほぼ存在せず、見渡すと目に飛び込んでくるのは山や川などの自然に、木造の民家。

その東吉野村の中心にあるのが、ローカルコワーキングスペースの先駆け的存在として注目される「オフィスキャンプ東吉野」です。大阪市内からは車で約1時間半、奈良市内からも1時間強と、決して都心からのアクセスがいいとは言えないこの場所には、しかし、クリエイターを中心に全国から年間1000人もの訪問者がやってくるそう。
訪れる人は、クリエイターをはじめ行政職員や村民などさまざま。扉を開けてすぐのスペースには「誰でも気軽に立ち寄れるように」とコーヒースタンドが設けられ、スタッフたちがコポコポと音をたてゆっくりとコーヒーを淹れながら、訪れた人をもてなします。

東吉野村の事業である同施設の運営を村から委託されているのは、施設と同名の企業・合同会社オフィスキャンプ代表の坂本大祐さん。村在住のデザイナーである坂本さんが2016年に設立した同社には、クリエイティブを生業とするメンバーが中心となり所属しています。

「パートさんも含めたら、いま20人くらいいるんちゃうかな。最初はグラフィックデザイナーとかカメラマンとかやったけど、最近は結構多彩になってて、木工職人とかプロダクトデザイナーもいますね」

同施設を拠点にデザイナーとして活動する坂本さんは、全国から依頼のある案件を手がけつつ、2020年に奥大和エリアで開催されたアートイベント「MIND TRAIL(マインドトレイル)」のクリエイティブを手がけたり、奈良県の革靴メーカーがつくるスニーカー「TOUN(トウン)」のプロデュースをしたりと、県内の案件でも幅広く活躍。

おまけに、東吉野村への移住検討者の支援までしているそう。ユーモアにあふれた立ち居振る舞いもあり、村の頼れる兄貴的存在です。

経験のない仕事も、まずは受ける姿勢を貫く

現在は東吉野村に住む坂本さんですが、出身は大阪狭山市。高校卒業までを大阪で過ごし、大学では京都に住みながら建築設計を学びました。その後、設計事務所に入り念願叶って建築家への道をまっしぐら、かと思いきや、なんと半年で退職。その後は大阪市西区にあるデザイナーズ家具店に転職しました。

「最初に就職した設計事務所では、常に現場に放り込まれて、小間使いみたいな下積みの仕事をしててん。今思ったらそういう時期が必要なんもわかるやん? でも、嫌やったんですよ。俺、若い時ダメなやつやったから。そのへんは今でもちょっと怪しいですけど(笑)。

『こんなん耐えられへんわ。俺は図面描けんねんから、やらしてくれよ』って思ってて。もっとええとこだけやりたいって。しょうもない男やってん、ほんまに」

次の職場に家具店を選んだのは「おしゃれなところで働きたかったから」。当時デザイナーズ家具が注目を浴び始めた時代だったこともあり、決めたのだと笑います。

実はデザイナーの道を歩み始めたのはこの職場での出会いがきっかけ。当時このエリアには多数のデザイン事務所が居を構えており、家具店のお客さんであったデザイナー数人と仲良くなったことから声がかかりました。

「『大ちゃん、ソフトあげるからこんなんやらへん?』って、フォトショップの切り抜きとか、手間仕事みたいなのを俺に振ってくれたんですよ。デザインのなかで、誰でもできそうなちょっと面倒な作業があるじゃないですか。それを俺がやり出したんです」

そうしてデザイナーたちの手伝いをするうちに、だんだんとデザインの流れが分かってきた坂本さんは、「これ、俺もいけるんちゃう?」とデザインを少しずつ生業に。

「周りの友達に『俺、デザインできるから名刺つくってあげるわ。1万円でいいで』って、全然やったことないのにデザインできるって言い切って(笑)。自分でデザイナーとしての名刺もつくって、そうやってやり出したんですよ。それがきかっけ」
当初は低価格を売りにして積極的に案件を受け、1000本ノックのごとく仕事をした坂本さん。大きな転機となったのは、働いていた家具店に家具を選びに来ていた、カフェを開業する予定の若手経営者から、仕事の依頼をもらったことでした。

和歌山に新しくできる予定のそのカフェでは、店内に置く理想の机がなかなか見つからずオーナーが困っていたそう。家具のデザインなどこれまで一度もしたことのなかった坂本さんでしたが、「俺、できますよ」と言い仕事を受注します。

「最初はグラフィックデザインを中心にやってたけど、でも俺は建築を学んでて図面もひけるから、家具の仕事もできるかなと。そんなん、やったもの勝ちやんか。自分がデザインしたものを、地元で鉄鋼をやってる友達と工務店をやってる友達に依頼してつくって、納品してん」

初めての家具デザインでしたが、なんとこの机が評判に。それ以来、同カフェから次の案件を依頼されるたびに「全部できます」と言い切って仕事を受け続けた坂本さん。わからないことでも引き受け、後から方法を調べてつくりあげるといった仕事のスタイルだったと振り返ります。

「仕事って自分ができることを相手に渡すっていうよりも、相手が困っていることを相談されるかどうかやと思ってて。相談されたら、解決方法を考えて自分ができる範囲でやる。それが喜んでもらえたら、その後も続くじゃないですか」

このスタンスは、地方クリエイターとして働く現在も健在。地方ではデザイナーの仕事領域に詳しくない事業者も多く、コピーライティングや企画など、いわゆるデザインの範疇を超えた大雑把な相談もたくさん来るそうですが、この時と変わらず「できますよ」といって引き受け、仕事の範囲を限定しない姿勢を貫きます。

「俺は今、デザイナーって名乗ったほうが分かりやすいから肩書をデザイナーにしてるけど、別にどっちでもいいんですよね。プロデューサーって言われることもあるし。いろんな言われ方をするんですけど、結局、根っこは相手が困ってることを自分の領域でどう解決するかやと思ってます」
NAKAGAWA’s eye
「なんでも出来る」は危険なワードです(笑)。
よく技術に自信のある町工場の社長が同じようなことを言っていますが、ブランディングという視点で考えると「なんでも出来る=世界観がない」となってしまいます。
しかしながらデザインという請負業かつ立ち上げ当初のフェーズにおいては自分たちのやれることを拡げる意味で正しい判断だと思います。
坂本さんの懐の深さはこうやって養われてきたのだなあと感じます。

身体を壊し、東吉野村へ移住

こうしているうちに坂本さんの仕事への評価は徐々に高まり、実績をあげることで依頼される仕事も大きくなっていきました。家具店を退職し、和歌山と大阪の企業でそれぞれデザイナー職に就いた後、ついに独立。フリーランスとなりました。

仕事に邁進していた当時の坂本さんは評価を上げることに貪欲で、夜もクライアントと会食を重ねる毎日。プライベートの時間はほぼないに等しい日々をおくっていたそうです。

当時を振り返り坂本さんは「オーダースーツを仕立てるとか、そんな生き方をしてたんですよ。それこそ六本木のレジデンスに住んでやる! みたいな感じやったもんな。本気で思ってたからね。嫌な感じでしょ」と笑います。

しかし、そうして満身創痍の生活を続けたことが原因となったのか、ある日過労で倒れて1か月の入院生活を余儀なくされることに。状態は深刻で、その後もフルタイムでの仕事にはドクターストップがかかるほどでした。

これまで一心不乱に打ち込んできた仕事が、もう同じようにはできない。どうしたものかと悩んだ末、もともと中学時代に山村留学をしていた先であり、ご両親が一足先に移住していた東吉野村に、ひとまず身を寄せることに決めました。

「両親がとりあえず1回帰って来いと言ってくれて。それで戻ってきたんですよ。だから、別にもともと地方に興味があるとか、田舎ラブみたいなのは、全くなかった(笑)」
施設内に飾ってあるのは、画家である坂本さんのお父様の絵
坂本さんに東吉野村で暮らし始めた頃の心情を聞くと、「もう都落ちみたいな気分」。仕事は全くせず、焦りや悔しさがないまぜになった感情を味わう日が数か月続きました。
NAKAGAWA’s eye
これからは地方の時代だとも言われていますが、現時点で東京とその他地域との「レベルの差」は間違いなく存在します。しかしながらそれに甘んじず、「地方やししゃーない」という、当たり前のレベルの低さを変えていくことが本当の意味での地方創生なのではないでしょうか。奈良だけど超一流という状態です。
しかし半ば強制的に「暮らすこと」に向き合うことになった坂本さんの心は、少しずつ変化していきます。

「朝6時に起きて散歩したり、本を読んだり、温泉に行ったり。ただただ、普通に暮らしてました。でも俺、振り返るとそういう時間が全くなかったなって思って。私生活も全部仕事に使ってたから。何しとったんかなって。

働いてそれなりにお金にはなったけど、そのお金で結局自分の治療費を払ったりしなあかんし。もう何してるんかわからんな、みたいな。それで、だんだん変わっていったんです。そもそも何のためにお金がいるって思ってたんやっけ。別に今の暮らしでいいやん、みたいな」

こうして東吉野村の山や川に囲まれながら「暮らす」ことを味わうなかで、自分の生き方を省み、思考も自然と変わっていった坂本さん。1年ほど療養して少しずつ体調が回復し、以前の仕事先から声をかけてもらったこともあり、引き続き東吉野村に住みながらデザイン業を再開していきました。

そんな坂本さんがコワーキング施設・オフィスキャンプ東吉野と、合同会社オフィスキャンプの立ち上げに至ったのは、奈良県のスーパー公務員・福野博昭さんとの出会いが始まりでした。

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INFO

コワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」

住所:奈良県吉野郡東吉野村小川610-2
営業時間:10:00-16:30
休業日:火・水曜日

公式サイト: オフィスキャンプ東吉野 / Facebook / 合同会社オフィスキャンプ

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文:谷尻純子 写真:奥山晴日

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