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プロジェクト粟#01

予防医療・予防福祉を探る道から「プロジェクト粟」主催へ。三浦雅之さんが大和伝統野菜を人生の研究テーマにした理由

IDEA
2021.05.06
「これは大和まなで、こっちは春日早生(かすがわせ)。どっちも葉物野菜で、炒め物にするとめっちゃ美味しいんですよ」

聞きなれない名の野菜をエネルギッシュな笑顔で収穫しながら、一つひとつの野菜について愛おしそうに説明するのは、大和伝統野菜の第一人者・三浦雅之さん。懐かしさを帯びた景色が広がる、奈良市郊外の精華地区をメインフィールドとし、奈良で古くから育てられてきた野菜を調査・研究しながら、大和伝統野菜を提供するレストラン「清澄の里 粟」「粟 ならまち店」も営んでいます。

伝統野菜とはその土地で古くからつくられてきた、土地の気候風土にあった野菜のこと。その土地独自のブランド野菜といえば京野菜や加賀野菜が全国的にも有名ですが、実は奈良にも、大々的にブランド化はしていないものの、地域の農家さんによって小さく受け継がれてきた品種がいくつもあります。

元々は福祉関係の仕事に就いていた三浦さんですが、予防医療・予防福祉の道を探るなかで大和伝統野菜に魅せられ、今では「プロジェクト粟」と称して大和伝統野菜を軸とした地域活性にも取り組みます。

大学の農学部で講師として登壇したり、伝統野菜に関するセミナーの声が全国からかかったりとオファーの絶えない三浦さんですが、実は調査を始めた頃、奈良県にはほとんど大和野菜の登録はなかったのだとか。

なぜ三浦さんは大和伝統野菜を軸とした事業を行うのか。そして、今後目指すものは? 前中後編でお届けするなかの、本記事は前編です。

<注>
大和野菜・・・・奈良県にブランド野菜として認定されている野菜
大和伝統野菜・・奈良県で古くから種が受け継がれ、育てられてきた野菜
プロジェクト粟
奈良の地域資源である大和伝統野菜を活用した事業を通じ、コミュニティ機能の再構築と地域創造への貢献を目指し設立。農業の六次産業化に取り組む「株式会社粟」、伝統野菜の調査研究と文化継承活動を行う「NPO法人清澄の村」、地元の集落営農組織である「五ヶ谷営農協議会」の3事業者により取り組みを行う。

株式会社とNPO、営農組織の3つからなる「プロジェクト粟」

近鉄奈良駅から車で15分ほど走ると見えてくる、のどかな里山の風景。奈良市中山間部にある精華地区は、かつて万葉の歌人が往来し「清澄の里」と呼ばれていたエリアです。

この地の小高い丘の上に建つのは、大和伝統野菜の調査・研究に取り組む三浦雅之さんがオーナーを務めるレストラン「清澄の里 粟」。大和伝統野菜が食べられるお店として人気で、奈良県内はもちろん、その噂を聞きつけ全国各地からファンが訪れる名店です。
大きな窓からやわらかい陽が差し込む店内は、誰もが思わず深呼吸したくなるような心地よさ。バルコニーに出ると眼前には精華地区の民家や青々とした田畑、風にそよぐ木々の風景が広がります。「ランチをしに来て、そのまま16時のクローズまでいるお客さんも多い」というのも納得です。

しかし、この場所は単なる大和伝統野菜のレストランではありません。大和伝統野菜を軸に地域のコミュニティ機能の再構築と、地域創造への貢献を目指す「プロジェクト粟」の拠点でもあるのです。

プロジェクト粟は、レストラン運営など農業の六次産業化に取り組む「株式会社粟」と、伝統野菜の調査研究・文化継承活動を行う「NPO法人清澄の村」、精華地区の営農組織である「五ヶ谷(ごかだに)営農協議会」の3事業が連携・協同するプロジェクト。地域を元気にしていくために、大和伝統野菜を調査し、育て、提供する。その3つの役割をそれぞれが担います。

三浦さんはプロジェクト粟のリーダーであり、立場を変えながら各事業に関わっているそう。例えば五ヶ谷営農協議会では企画部長として各野菜の生産調整を担当します。育てられた野菜は株式会社粟が営むレストランで提供。ここでは社長として日々の経営に携わっています。
写真提供:株式会社粟

専門学校では福祉の道へ

今では奈良の生活が長くなった三浦さんですが、出身は京都府舞鶴市。奈良との出合いは大学時代のボランティア活動がきっかけだと振り返ります。

「高校を卒業した後、大阪の社会福祉の専門学校に進学することになりました。それで、たまたまその時のルームメイトが『社会福祉というのは勉強だけじゃなくて、現場も知らないといけないんじゃないの』っていうことで、ボランティア活動をすると言って。

仲のいい子がそんなことを言うんで『ほんなら、ぜひ僕も連れて行って』って、奈良市にあるたんぽぽの家へボランティアに行き始めたんです」

三浦さんが通ったたんぽぽの家は、全国から注目を集める福祉施設であるとともに、「アート」と「ケア」の視点から様々なアートプロジェクトを実施するコミュニティアートセンターでもある場所。そこで行われている多彩な取り組みを目にし、三浦さんは訪れてすぐ同施設での活動にのめりこみます。
「たんぽぽの家が面白いのは、社会福祉法人として施設を運営しながら、財団法人たんぽぽの家として、エイブル・アート(※障がい者アートを見なおす運動)にも取り組んでらっしゃるところです。これ、すごく素晴らしい取り組みなんですよ。

あと当時は財団法人のなかに『ネットワーキング社会研究所』というシンクタンクも持っていて。そこでは当時の日本にまだなかった、NPOの法律にあたる『特定非営利活動促進法』をつくる取り組みをずっとされていました。僕もその調査に関らせてもらうようになって。

学生でいろんなことに興味があったんで、とにかく、たくさんやってみたくて。その結果奈良に入りびたることになったんです」
毎日のようにたんぽぽの家に泊まりながら、社会や環境・福祉に対する公益事業の法整備に向け、調査に打ち込んだ三浦青年。そのまま福祉の道へと歩を進めるのは自然な流れでした。

予防医療・予防福祉の可能性を探る

現在「清澄の里 粟」で調理を担当する奥さま・陽子さんとの出会いも、このたんぽぽの家。同じ時期にボランティアへ来ていたことがきかっけだそうです。看護学生だった陽子さんに三浦さんが「一目ぼれをした」のだと、照れながら教えてくれました。
三浦さんと奥さまの陽子さん
日々、同施設での活動に励み続けた三浦さん。そうこうしているうちに、専門学校の卒業時期が訪れます。三浦さんはたんぽぽの家での出会いが縁で、障がい者の自立生活問題を研究する研究所へ就職。そして福祉と医療、分野は違えど想いを共にした陽子さんと結婚し、お互いの職場へ通いやすい奈良市内に新居を持ちました。

「奈良に定着するステップとして、たんぽぽの家に来たのがファーストステップとするならば、彼女と一緒に奈良市内で生活を始めたのがセカンドステップですね」と、三浦さん。

就職後は研究所で、身体障がい者の自立生活を促すための法活用提案や、プログラムの整備、また身体障がい者が暮らしやすい街をつくるための都市計画への政策提言などを担当していました。しかし精力的に取り組んでいたものの、日本における福祉と医療のあり方について、看護師であった陽子さんと2人、日に日に疑念を抱き始めます。

「私も妻も医療と福祉といった『人が幸せに生きていくためには』をテーマにした仕事についていました。彼女はまさに医療の現場で働いてましたし、私も障がいを持った方々と一緒にプログラムをやっていくなかで、福祉の現状をかなり知ることになって。

日本の医療と福祉には、今でも国家予算の3分の1以上が使われてるってご存知ですか? その額は40兆円ほどです。当時でも10兆円程度が使われていたと思うんですけど、大きな予算が使われているにもかかわらず、障がいを持った方や入院している方が幸せになっているかと言われれば、決してそうでもないような現状を僕らは感じていた」
制度や法律、テクノロジーに資金を投資し、医療や福祉を支える国の政策に、懐疑的な考えを持った三浦さん夫妻。反対に2人が可能性を感じたのは、予防医療や予防福祉でした。

「今で言うと健康寿命をのばすとか、生涯現役率を高めるとかですね。そういったアプローチがもっとできないかなって、ずっと2人で話してたんです」

そのうちに2人は「自分たちが見ている世界はそもそも狭い」と気づき、見分を広めて方法論を考えたいと、仕事を2か月ほど休むことを決断。様々な縁をたどって理想の医療と福祉を探求する旅に出ます。

ネイティブアメリカンの村で見つけた、「種」を中心としたコミュニティの在り方

旅先の一つとして訪れたのが、アメリカのバークレー州。当時世界で最も進んだ福祉都市と言われていた場所です。税金を投入して法を整備し手厚い介護が提供されていたというバークレー州ですが、そこで2人が感じたのは、あくまでも対処療法的な施策が中心であるということでした。

「『お金があると確かにこういうサービスができるね』とか『ユニバーサルデザインはすごく洗練されてるな』とか、日本にあった制度や法律、テクノロジーの延長線上の素晴らしさみたいなものは拝見できたんです。

でも、じゃあ健康寿命を延ばすだとか、そもそ医療や福祉が必要にならないような人間の生き方・暮らし方とか、そのための地域のあり方みたいなものはあまりなかったんですよ。逆に完全に個人主義で、お金とテクノロジーの力でそういった問題を解決する、みたいな」

そんな折、たまたま旅の道中で出会いがあり、ネイティブアメリカンと生活をする機会に恵まれた三浦夫妻。そしてそこで、人生の舵を大きく切るきっかけとなった気づきを得ます。
2人が滞在したネイティブアメリカンの村は、制度や法律、テクノロジーなど何もない、さながら日本の昔の農村。しかし驚くことに日本でいう「要介護者」は一人もおらず、地域のお年寄りははつらつとしていて、まわりからも“知恵袋”として大切にされていたそうです。

「どうして、こんな仕組みができあがっているんだろう?」

興味を持った三浦夫妻はネイティブアメリカンの暮らしを観察するなかで、彼らの生活の中心には「トウモロコシの種」があることに気がつきました。
「向こうは主食がトウモロコシなので、トウモロコシを育てるために共同で作業するコミュニティが出来上がっている。

そこから儀式やお祭りが生まれたり食文化が生まれたり、それを受け継いでいくためにお年寄りが知恵袋になっていたり。とにかく、彼らの生活の中心には、主食であるトウモロコシがありました。

トウモロコシの種を受け継ぐことによって世代間が繋がり、食文化を代々にわたり継承することで価値感を共有する。共同作業をすることで、コミュニティも出来上がると。

これってひょっとしたら、僕らが思ってる予防医療・予防福祉の大きなヒントがここにあるんじゃないかなと思いました」
NAKAGAWA’s eye
あえてビジネス的フレームワークに当てはめてみると、とうもろこしの栽培を中心にコミュニティが出来上がっているという構図は、ビジョン達成のために集まってできた会社組織と似ている気がします。

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INFO

プロジェクト粟

公式サイト:HP / 清澄の里 粟 / 粟 ならまち店

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文:谷尻純子 写真:奥山晴日

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